凍原




題名:凍原 北海道警釧路方面本部刑事第一課・松崎比呂
作者:桜木紫乃
発行:小学館 2009.10 初版 小学館文庫 2012.06.11 全改稿初版 2014.7.30 7刷
価格:¥619



 桜木紫乃が釧路の作家であることを武器にして書く小説とは何だろうと、考えたとき、やはり釧路という風土のその特異性を生かしたものだろうと推察される。そしてそれが作品創作にしっかりと反映してゆくからこそ、この作家はこの作品の後、直木賞に辿り着いていったのだろうと思う。

 そればかりか、この作家は北海道らしさを作風にとても色濃く出しているように思える。釧路が彼女のセンターポジションであるとすれば、遊撃地点としてのどこか別の場所が選択される。本書の場合、それは樺太であり、留萌である。

 本書には地図がいくつも巻頭に添付されている。殺人事件の現場となった塘路湖付近、小児行方不明事件の起こった釧路町付近、そして釧路全体図、さらには過去の終戦間際の脱出ドラマが展開される樺太半島の図。こうしてみると、桜木紫乃という作家の作品に地図、土地、風土、そしてその特性たる地の果ての歴史を生きた人々の相関図、というようなものが、非常に重要な要素となって示されている気がする。

 単なる舞台設定といういう以上に、風土そのものが作品を構成する重要要素であるばかりか、時には土地こそが人間に成り代わって主役の座を奪うといったぎりぎりのところまで、土地・季節・時代が物語を捻じ曲げる極大の影響力を持つ。

 本書は樺太で始まり、釧路で終わる。一人のタフな女の叙事詩を読み取る釧路の女性捜査官。しかし樺太から逃げ延び、札幌、小樽、室蘭、留萌と展開する女性の踪跡を辿っているうちに、不思議な矛盾に気付いてゆく。死んだ男は明らかに日本人の顔かたちだったのに、その瞳の色は澄んだブルーだったという事実に端を発した不可解さは、次第に過去の歴史の中ですり替えられてきた真実に近づいてゆく。

 刑事ものという体裁を取りながら、実は一つの過酷な時代を生き延びた女たちの人生を描くビルディングス・ロマンであり、冒険小説のエキスもたっぷり滴り落ちているこの一冊。短い文章ながら、その稠密さに呼吸さえ苦しさを覚えるほどの圧倒的ストーリーテリングとその仕掛けの巧みさに、この作家のスケール感を修正
せねばならなかったほどの、これまた桜木紫乃ならではの渾身の力作である。

(2016.03.01)
最終更新:2020年01月13日 14:33