夜よ鼠たちのために





題名:夜よ鼠たちのために
作者:連城三紀彦
発行:宝島社文庫 2014.9.18 初版
価格:\730



 縁あって二十年来、宝島社の『このミステリーがすごい!』のアンケートに投票させて頂いている。2014年版(即ち2013年の12月発行)の『このミス』で、復刊希望!幻の名作ベストテンの第一位に輝いたのが本書。

 実のところ、『このミス』に投票しながら、ぼくの好みと『このミス』のアンケート集計結果が年々乖離するようになり、いささか居心地が悪くなっている。ぼくが冒険小説やハードボイルドの畑にあるにも関わらず、アンケートの対象となる作品は広義のミステリーで構わないという主旨に多分に甘えさせてもらっていることから、純粋にミステリ・ファンとしての投票者たちとは大きく読むジャンルが異なるという結果にならざるを得ないのがその結果として表れてしまっているのだ。

 ぼくの場合、どうしても謎解き中心のミステリより、選ばれる題材や舞台としての鋭さの方に視点がゆきがちになる。一方、『このミス』上位に食い込むのはどうしてもミステリにこだわった作品が多くなる。ぼくの苦手とする本格推理が好まれ、トリックが斬新であればあるほど上位に行く傾向はなぜか年々高まっているように思う。

 もう四半世紀前のことになるが、Niftyで冒険小説フォーラムから推理小説ファンは相容れないので独立しましょうという動きがあり、推理小説フォーラムが分岐してミステリファンはそちらに流出していった。ぼくは相変わらず欧米のハードボイルドや日本冒険小説協会が取り上げる和製作家たちにこだわりを見せていたが、当時でさえ、もう本格推理小説のアイディアはすべて出尽くして枯渇しているので、これからはトリックは主流になるはずがない、と主張する人たちもいたのを覚えている。

 しかし実際には推理小説のアイディアは一向に枯渇の様子を見せず、常に新しいひねりを加えたり、謎解きファンを唸らせたりし続けているのである。そしてそういった作品が上位に食い込む傾向は減るどころか逆に追い風に煽られ、ますます増えている様相すら呈しているのである。

 2015年版で一位に選ばれた米澤穂信の『満願』にせよ、復刊を望まれた1980年代の短編集である本書にせよ、同じく超絶技巧とまで呼ばれたダブル・ツイスト、トリプル・ツイストとひねりにひねった仕掛けに満ちた短編集である。これでは、ぼくの投票とはニアミスすらしないのは当たり前である。

 さて本書。連城三紀彦という作家は、一時期親交を温めさせて頂いていた強面の某文芸評論家の口からよく聞いていたのに一作も勧められることのない作家であった。一方、『恋文』『もどり川』(どちらも神代辰巳監督、萩原健一・松田優作それぞれ主演と、当代の主役を配して極度に印象的な作品として銀幕に映えた名作映画の原作作家であったこともあり、読んでいないのにとても意識してきた作家であった。ただその二作を映画で見た限り、ミステリとは何の関わりもなさそうな恋愛小説の物語であったし、某文芸評論家が全然ぼくに勧めようとしなかったのは、ミステリとは無関係という理由かなと勝手に思っていた。

 ところが本書は、ガチガチのミステリではないか。どれも凝りに凝ったアイディア満載の秀作揃い。なるほど復刊ベスト1に選ばれるのもむべなるかな、である。

 もちろんだからと言ってぼくがこれを楽しめたかというと、そうでもない。やはり、リーグが違う、としか言いようがないのだ。日本的にドロドロした心情描写が多いことや、情念や心理の細かな揺らぎだけで書かれる文体であるためにと、ても暗い陰湿な情景が多く、従って描かれる犯罪の後味もよくないこと。それらの生理的にいやな感覚を差っ引いても、なおかつトリック優先という人にはいいのだろう、おそらく。ぼくにはわからないけれども。

 同じトリック優先であっても、西洋文学であれば、ジェフリー・ディーヴァーやらローレンス・ブロックやらのように、読んだ後味はとてもよい。そういった作者と読者の共感がとことん与えられないのはなぜであろう。同じことは『満願』でも感じられたのだが、これはきっと日本作家の風土ではないだろうか。怨念とか、陰湿な隠された情念といった小説風土から生まれたものではないだろうか。

 からっと乾いて痛快と思えるような世界レベルの娯楽と言える作品を編み出す日本作家も現代小説では沢山いるだけに、ぼくにはこの手の趣味が少し不思議でならない。短編世界ではむしろ情念よりも人間の悲喜劇や闘争精神を、端的にからっと描く作家は沢山いるように思う。香納諒一、横山秀雄、矢作俊彦、稲見一良、高城高、等々。1980年代の作品群としては少し古臭く感じるのは、そんな粘性の強さが鼻に着くからではなかろうか。

(2015.01.13)
最終更新:2015年01月14日 12:25