南冥の雫 満州国演義8





題名:南冥の雫 満州国演義8
作者:船戸与一
発行:新潮社 2012.06.20 初版
価格:\2,000



 最終巻が近いな、と思わせるショッキングなラストシーンであった。敷島四兄弟の運命もそろそろのっぴきならぬところまでそれぞれが追い込まれているように見えてくる。それぞれがこの大作小説の初期段階において、満州に住み移っている。三郎は日本に家族を残し、太郎は身から出た錆で日本に家族を帰すことになった。それぞれ帰るべき祖国はありながら、祖国そのものが明らかに滅びようとしている今、彼らの漂流の旅はどこへも向かうことがなさそうに思える。日本そのものと運命を共にする以外にないあの時代の彼らだ。日本そのものが有史以来最大の危機を迎えている。

 戦争は人災である。明らかに天変地異ではなく、人が故意に起こす災害である。権力を持つ者が多くの兵隊を遥かなる戦場の地に捨ててしまう。それが太平洋戦争の構図であった。武器も、食料も、水さえもなく、多くの兵士たちは、戦いによってではなく、兵站の途絶による、餓死、病死というあまりにも虚しい最期を迎えてゆく。頭ではわかっていても、戦場の地にペンによる描写が入り込むこのような小説世界でその湿度や熱波を味わうと、教科書とは違う、学校の教壇からの声でなされた説明とは格段に違うということに嫌でも気づかざるを得ない。

 本書においてはミッドウェイ海鮮によって戦局が逆転し、地下資源を求めて伸ばしに伸ばした戦線が疲弊し、感染し、飢えてゆく様が描かれてゆく。それでもなお精神論をやめようとしない国の支配者たちの愚かな死神のような顔だけが醜悪魁偉に立ち昇る。満州を描き始めた本書は、かつての五味川純平『戦争と人間』と同様に、全登場人物の誰もが救われることなく不条理な地獄に向かうという、かつて真実であったろう地球規模の惨劇に受かって間違いなく疾走しているかに見える。

 インパール作戦の虚しく、愚かな発動の中に、敷島次郎は投げ込まれてゆく。ドイツ帝国が敗戦を繰り返している。連合軍はシチリアに上陸し、イタリアはムッソリーニを逮捕する。日本がヨーロッパの同胞としていた帝国主義が世界中の砲火を浴びて倒れつつある今、日米開戦がいかに無謀で無知なものであったかが徐々に明らかにされる。

 このまま日本の滅びを見てゆかなくてはならない。敷島四兄弟とともに、日本の死を味わわねばならない。それこそが、書に刻まれるという形での無情なる戦史であり、反復されるべき語り部たちの業なのであろうから。

(2015.01.10)
最終更新:2015年01月10日 11:38