大地の牙 満州国演義6





題名:大地の牙 満州国演義6
作者:船戸与一
発行:新潮社 2011.04.30 初版
価格:\2,000



 三、四年の間、すっかり無沙汰にしていた満州国演義シリーズを久々に手に取る。冬場でオフシーズンで仕事が暇なんだからちょうどいいや。冬の北海道旅のあいだも、このお弁当箱みたいに重たい本を持って歩いたけれど、外は吹雪いていることも多く、電車であれバスであれホテルの窓辺であれ、ガラス越しに感じられるのは零下の真冬。モノトーンの昼と真っ暗な夜ばかりだ。だからこの本の舞台背景になっている満州は、とても身近に感じられる。嘘だと思うのなら、船戸ファンよ、このシリーズを読むに最適なる白い北海道へお越し頂きたい。そしてこの重量級の作品を、冬の泣き叫ぶような風の音に耳を傾けながら、活字を追ってもらいたい。正統派船戸満州読書術です。

 満州国演義もかなり時を経て物語を経て主人公たち、即ち敷島四兄弟も変化を遂げた。変わらないと思えるのは、奉天特務機関員中佐・間垣徳三くらいか。いや、その間垣も時代の趨勢に初期の思いとは流れが随分ずれて来ているっていうことの危険を動物的勘でぴりりとだけ感じているみたいである。そう、時代は多くの満州事変当事者たちの思惑とずれてしまっている。いつ、日本の方向性がずれ始めたのかは、誰にもわからない。満州国建国の理想がどのくらい泥にまみれ、正当なる実現のかたちとは違った方向に向き始めたのかは、やはり誰にもわからない。しかし、誰もがずれ始めた時代の足音を耳にしてはいるのだ、確実に。

 本書はその意味で、他巻に比べ静謐に満ち満ちてはいるけれども、その分だけ異様に恐ろしい。空気には一触即発の火薬でも混じっているように呼吸すら安心してできない。すべてがあらゆる人間の思惑の中で駆け引きされ、売り渡されたり踏みにじられたり、やけに慌ただしい。それが理想を失いかけた満州の現実となっている。

 抗日運動の激化する山中で苦労していた敷島三郎は、ノモンハンの間近まで歩を進め、恐るべき現実と向き合うことになる。本書の白眉であるノモンハンの惨憺たる結果を船戸の筆でさえ十分に描ききることができないでいるのが読者としてももどかしい。

 山本薩夫がメガホンを取った映画『戦争と人間 第三部 完結編』ほどノモンハンの凄惨さを描いた映像をぼくは他に知らない。原作者の五味川純平ですらノモンハン全体を描ききれたかどうか。五味川原作は悲惨のピークを太平洋戦争に持ってきているので、ノモンハンは原作にとっては単なる序曲みたいなものだ。しかし、山本映画を観た者にとってノモンハンは初期の硫黄島みたいなものだ。ソ連が本気を出したら日本など戦場ではいくらも持たない。戦車隊突撃兵。天安門事件みたいに。

 本書はノモンハンが命令を無視して独断で行われた作戦であり、そして大敗と未曾有の被害であったところ、さらにその被害が誠実には日本に伝えられていない虚しさを、登場人物のほぼすべてがl共有するところで完了してゆく。戦争とは、秩序の喪失であり、だからこそ人命の大いなる損失を伴う誤断に満ちた空虚な破滅なのである。その空しさを人間がどれだけ繰り返してきたのか、あるいは今も継続しているのかを、船戸文学は世界中のあらゆる世界を舞台に描いてきた。今、彼の使命の集大成として、歴史の語り部は血みどろのペン先を昭和日本の選択に向けている。

 今のぼくらができることは、黙々と血と風雪で綴られた満州史に眼を向けるばかりである。

(2015.01.08)
最終更新:2015年01月08日 21:44