歌舞伎町ダムド




題名:歌舞伎町ダムド
作者:誉田哲也
発行:中央公論新社 2014.09.25 初版
価格:\1,600



 作家の名が、TVドラマや映画で急に有名になると、その作家の新しい読者層は、古い作品を紐解き始めるのだろうか。そうしていろいろなシリーズを過去に遡って知ってゆくということになるのだろうか。作家はそんなことを意識してこういう後日談を用意してみせることもあるのだろうか。

 この作家は売れているのだと思う。娯楽性が強く、何よりも展開がスピーディで読みやすいし、派手で過激だ。若い女性心理を反映させた若い女刑事だって、格好いい上司の男性刑事だって出てくるし、場所は歌舞伎町など、最新でぴかぴかの都会だ。売れる、と思う。

 だからと言って『ジウ』と『ハング』と『歌舞伎町セブン』の後日談とも言える本書は、それら過去作品を読まない人たちにとっても楽しめる作品であるのだろうか。否。ぼくは疑問に思うどころか、否定したいように思う。

 それら古い作品を読んできた人たちは、その後あのヒーロー・ヒロインたちはこんなことをやっていたんだな、とかつての作品を懐かしむ面白さを味わえる。実際、ぼくはそうした再会を楽しく読ませてもらった。

 とりわけ、主人公たちが互いの素性を知らないのに、読者だけが事実を知っているというシナリオも多分に含まれている。

 本書にも、またまたお馴染みの残虐極まりない電波系殺戮者が登場する。「ダムド」というニックネームだそうだ。吐き気を覚えるほどの残酷な殺害方法を、よくぞまあこの作者は次から次へと思いつくものだ。さすが元ホラー志向があからさまだった作家だけある。もっとも、そのホラーではあまりうまくゆかず、今をブームの女刑事ものに目を向けたことが大正解となり、この作家はヒット・ライターとして君臨するに至った。だが、現在本書を手にとって、ぼくは少し疑わしい斜なる視線を用意せざるを得ない。

 何しろ、本書は、複数小説の重要登場人物を一堂に集めて、カタログのようにその後日談を並べてみせているだけの作品に思えるのだ。世界構築は、まあよかろう。しかしそれに対し、作品タイトルとまでなっている「ダムド」のお粗末さはなんだろう。本来主役として存在価値を見せつけねばならないはずの悪役の中途半端さは何なのだろう? あのジウさえ草葉の陰で、きっと泣いているぜ。

 全体的に小説というより、より劇画に近くなってきたイメージから、作者の想定する読者年齢は徐々に若い層にシフトしているように思う。おそらくドラマや映画が、勘違いかもしれないその思いに拍車をかけた。せっかく大人の小説を描けるのに、サイコパスの安易な独白(下品だ!)をけれんたっぷりに插入してゆくのにも選択の安易さを感じる。

 どうも『ケモノの城』以来、誉田哲也がぼくは駄目になったか。そろそろこういう本と肌が合わなくなってきているらしい。求めるものが違いすぎる。

 読書の転換点に来ているのかな?

(2015.01.07)
最終更新:2015年01月08日 09:49