まほろ駅前多田便利軒



題名:まほろ駅前多田便利軒
作者:三浦しをん
発行:文春文庫 2009.1.10 初刷 2012.12.20 25刷 2006.3 初版
価格:\543



 映画化された作品でこの作品を知った。瑛太と松田龍平という若い主演陣に興味があり、何となく眺めるでもなく見ていたTVでこの映画が始まったところ、妻がこの原作を読んでいるらしく、身を乗り出してきたので一緒に見るに至った。予想以上に手応えを感じる作品で、なおかつ松田龍平の登場人物が魅力的だった。

 しょぼく、庶民的な、まさにどこにでもありそうな街と、少し昭和の面影すら感じさせる時代でありながら、どことなく古臭いハードボイルド映画みたいな、リズムを感じさせる映画作品であるところにも好感を得た。まるで1970年ベトナム戦争後期くらいにでも作られそうな作品だ。

 時を同じくして映画館では『舟を編む』という映画の予告編を何本も見ることになった。同じ作者三浦しをんの、やはり松田龍平を主演においた作品で、こちらは辞書を編纂する人の物語らしい。そちらは映画も原作小説も読んでいないのだが、何となくいい感じ。おまけに『まほろ…』は直木賞、『舟を…』は本屋大賞を受賞している。

 三浦しをん。ふざけた名前だ。なにせ名前に「を」の文字が使われる作家なんて聞いたこともない。おまけに「シオン」だって? 大物作家だな、と思った。ともかくこれは原作を読まねばなるまい。そう思って今さらながら、25も版を重ね、多くの読者を勝ち得てそろそろそのブームも終わりかけているのだろう時代に、ぼくはこの本を手に取るに至る。

 映画の印象が強すぎたのか、瑛太という俳優については少し小説からの印象は薄いのだが、行天という男は松田龍平以外の誰をも思い描くことができないほど、原作と俳優がぴったりフィットして感じられる原作であった。当然原作を書いていた時の作者は映画化を思い描いて執筆しているわけではないだろうし、行天という男の造形だって松田龍平という実在の俳優の有形な具体像を描いていたものではないと思う。それなのに、不思議とこの小説の中で書かれている行天は、松田龍平以外の誰をも想起させないのだ。珍しい現象、かもしれない。

 そんなわけでこの小説は、行天という男の造形がすべて、であると言っていい。あるひ便利屋を営む多田という主人公のもとに、大して親しかったわけでもない行天という高校時代のクラスメイトが転がり込んでくる。仰天は高校時代を通して誰とも交友関係がないばかりか、会話を交わしたことさえない変わり者であったし、その後言葉を口にするようになり図々しいほどに多田に依存する、成長した行天であれ、まだまだ十分に変人極まりない存在だ。

 しかしその奇人変人が、多田という男の日常に、いろいろな影響を与え始める。多田も、登場人物たちも、埋もれていた記憶や解決のつかないまま眼をつぶっていた宿題の数々を、現在のまほろ市(とんでもない地名を考え出すものだ)に引きずり出して、料理を始める。大人の庶民小説であり、手法はハードボイルドである。男と男のデスマッチや距離感、その中にたまに電光のように走る人間的優しさ、などから、ぼくは三浦しをんを男の作家だとばかり思い込んでいたのだが、最近になって女流作家と知った。男の世界を透視する女性の眼力の鋭さに、まさに恐れ入った一冊である。

(2014.2.5)
最終更新:2014年02月05日 14:55