捜査官ポアンカレ 叫びのカオス



題名:捜査官ポアンカレ 叫びのカオス
原題:All Cry Chaos (2013)
作者:レナード・ローゼン Leonard Rosen
訳者:田口俊樹
発行:ハヤカワ・ミステリ 2013.8.10 初版
価格:\1,900

 小説を読むとは大なり小なり痛みを伴うものだ。もちろんどの小説もというわけではないだろうけれど、ミステリ読みのぼくにとっては、殺人や暴力が扱われることにより犠牲者の痛みを洞察せざるを得ない機会が少なくない。痛みを余儀なくされるという意味では、この作品ほど痛切な鋭さを持って読者に挑戦してくる小説は他に類がないような気がする。

 インターポールの捜査官という主人公設定は珍しいのでないだろうか。アメリカ小説でありながら、独特のヨーロッパの深みを与えた世界を描き切っている作者の腕が見事である。捜査官ポアンカレはフランス人であり、リヨンやパリなど、ぼくにとっては訪れたことのある地であることから、想像しやすいという利点もあって楽しむことができた。

 カオス=混沌といった言葉が原題(邦題ではサブ・タイトル)に組み入れられている通り、わかりやすい犯罪ではない。ましてやポアンカレが身を引き裂かれるような運命に出くわす経緯なども、わかりやすい動機などはどこにも存在せず、まるで殺意は悪魔のもたらすそれのようだ。ましてやそれは本作で取り上げられるメイン・ストーリーですらない。

 主人公は天才数学者ポアンカレのひ孫という設定。実在した数学者アンリ・ポアンカレ(1854-1912)は「ポアンカレ予想」で知られる数学者。数学と聞いただけで鳥肌が立つタイプのぼくにはその功績はよくわからないのだが、ここでの主人公捜査官ポアンカレは捜査の途上で祖父の理論に繋がるかもしれないヒントを犯罪現場から入手してゆく。それはさまざまな画像であり、小説中に挿入され、目眩を呼び起こす。葉脈、山脈、市街図、稲光、木の枝。カオスは深まる。

 あらゆる意味で難解な犯罪でありながら、謎を解き明かす小説の面白さは群を抜いている。ハーバードで教鞭をとっていたという作者のデビュー作というには、途轍もなく緻密でしっかりとした書きっぷりであり、その想像力の広がりには度肝を抜かれる。その上、あの痛みである。この展開が許されていいのかというタブーにまで踏み込んでいる、破壊力抜群の国際感覚ミステリと言えよう。

 ホテルの一室のみが爆弾テロで吹き飛ばされ、犠牲者は講演を予定していた数学者であったという派手な展開の事件に、獄中から殺し屋を雇う狂気の犯罪者。スケールの大きさや犯罪の奥深さで勝負するデビュー策としては大胆にしか見えないのに、しっかりと書き込んでゆく小説作法に好感を感じてならなかった。『このミス』あたりでもっと取り上げられるのかと思いきや、あまりポイントを得ていないようだ。それでもぼく個人としてはこの作品は奇跡的に思える。未だに、とんでもない作品に出くわしたとの印象が、拭えないままなのだ。

(2013.12.06)
最終更新:2013年12月06日 18:20