喪失




題名:喪失
原題:Gone (2010)
作者:モー・ヘイダー Mo Hayder
訳者:北野寿美枝
発行:ハヤカワ・ミステリ 2012.12.15 初版
価格:\1,900

 英国の警察には潜水捜索隊というものがあるのか。エイボン・アンド・サマセット警察の潜水捜索隊長である女性刑事フリー・マーリーは、そのクール・ビューティぶりで、どこかキャロル・オコンネルの印象的なシリーズ・ヒロインであるマロリーを想起させる。そしてその陰の部分の深さでさらに印象を深める。まずこの作品を分厚いものにしているのは、多くの脇役たちのキャラクター造形なのだが、このフリーという女性にはとても惹かれるものがある。ザイルをセットして独りケイビング捜査に果敢に挑戦する捨て身の冒険シーンなどは血湧き肉踊るスリルの基本形みたいで、喝采を送りたくなる。

 一方で、動というより静のイメージが強いシリーズ主人公のジャック・キャフェリーだが、この人にも陰影がある。小児性愛者に兄を殺された過去があることで一家は離散し、自分は生き延びたことの現在を背負って生きており、それがゆえに小児性愛者をひどく憎んでいる。

 キャフェリーのシリーズは今は絶版となっている第一作『死を啼く鳥』、第二作『悪鬼(トロール)の檻』(ともにハルキ文庫刊)の長編5作目であるそうだ。三作、四作に関しては邦訳されていなく、いきなり五作目となっており、しかも二作目でモー・ヘイダーはシリーズ中断を決意し、三作目でウォーキングマンという放浪者を登場させることによりキャフェリ-の世界をより深くしたいと思い直したらしく、このウォーキングマンは、過去に娘を殺害された未解決事件被害者の遺族であるというのだ。本作中でも、野で焚き火を囲む孤独な放浪者であるウォーキングマンにキャフェリーが相談にゆくシーンがあり、その他のシーンでもこの謎多きホームレスはシリーズの重要なキャラクターであるようだ。

 本作以外が未読であるゆえにシリーズ全体を見渡せいない歯がゆさが本書を読むのに一番痛いところである。事実、フリーの犯したある秘密の犯罪については前作を引きずるものなのかどうか、最後まで不明である。シリーズはやはり最初から順を追って読むことで、100%味わいきれるものなので、翻訳出版のこのようなあり方は改善願いたい。

 警察組織の中での組織内葛藤は、昨今の警察小説にはつきものだが、ここでは部下の若い刑事プロディとの対立構造が浮き彫りにされ、同時に刑事たちはそれぞれが孤立してゆくような印象がある。秘密を抱えるフリーと、その秘密をなぜか知っているキャフェリーの間の微妙な関係が、本筋である事件の捜査以上に気になりもする。心の内外の葛藤がとても人間関係を複雑にしており、その中で警察に挑戦するがごとき犯人の嘲笑が常に聴こえてくる。

 真犯人と真実への隘路を辿る道は暗くとても険しい。読者にもそれはわからない。伏線がたっぷりあり、行方不明の少女たちと、過ぎ行く時間が痛いほどに完成を削り取る。そしてあまりにも意外すぎるクライマックス。嘘で塗り固められた真犯人の顔。同時にクリアされてゆくいくつものサブ・ストーリー。謎だらけで不信まみれで、孤立してゆかざるを得ないキャフェリーが、この暗いトンネルを抜けるのはいつになるのか。

 先に言ったように英国冒険小説の流れを汲んでもいるフリーのアクションが、一足早く犯人の巣に辿り着く。不思議な土地であり、不思議な地形である地獄のような暗闇と、その底に潜む敵。本作品は、東野圭吾『容疑者Xの献身』がノミネートされたことで話題となった2012年のMWA賞最優秀作品賞受賞作である。これを機に、過去の邦訳作品の再刊や、未約作品の改めての出版が実現されることを願ってやまない。

(2013.09.26)