ミステリガール



題名:ミステリガール
原題:Mystery Girl (2013)
作者:デイヴィッド・ゴードン David Gordon
訳者:青木千鶴
発行:ハヤカワ・ミステリ 2013.6.15 初版
価格:\1,900


 『二流小説家』はちなみに面白かったのか? とあなたはぼくに問われるかもしれない。でもぼくはあなたにきっと答えることができない。あるいはぼくはこう答えるかもしれない。ミステリとしてはどうかと思う。謎解き部分はあるけれどもそう秀逸な流れでページを繰る手が止まらないというスピード感覚があるわけでは全くない。むしろ忍耐を強いられると思うので、よほど本の好きな人、活字中毒者たちに対してしかぼくは正直なところ薦めたくないんだ。

 『ミステリガール』はどうだったのか? とあなたはぼくに問われるかもしれない。ぼくはきっとこう答えるしかないだろう。言葉は好きですか? あるいはあなたには本を読む時間を大切にできますか? 何故なら、この本は、スリリングでもスピーディでもなく、むしろ数々の無関係にすら覚える著者の博学エピソードによってブレーキがかかることのほうが多い小説なので、そういう博学エピソードを楽しめない口には、ぼくは全くお薦めできないんだ。

 というわけでひどく多くの複雑な条件付きでなければお勧めできない作家としてデイヴィッド・ゴードンをぼくが見ていることだけは、了承してほしい。そのくらい難しい書物だ。この小説は言わば総合小説であり、ミステリ単体でシンプルに作られたものではないことだけは請けあう。それ以上にハヤカワ・ポケミスで出されてよかった本なのだろうか? とさえぼくの足元が揺らぐ。

 本書は一作目の度をさらに超えて饒舌が疾走する。前作は作中作やら、小説家の持つ小説論、マルセル・プルーストを持って何を語ろうとしているのかわからない不明確さなどが、中途半端なきらいがあったが、本書はさらにそれらの無責任なプローブが世界をつつき回しては出来損ないみたいなフリークなキャラクターたちの哄笑という名の手術に晒される。よくもまあここまで何かに偏り専門化した変わり者たちをクリエイトしたものだ、と感心するくらいに、彼らの造形は見事なものなのだが。

 この本はミステリなのだろうかと一千回くらい思い疑いを極限に増したあたりで、えええええ? というくらいの驚きに晒された自分が少し情けなかった。でも嬉しかった。この本はミステリだったのかもしれない、と確信には程遠いが、いくばくかの可能性に安堵のため息を付くことができたからだ。さらに、三本目のフィルムの登場により、この小説がミステリであったことがようやく証される。おいおい、もう巻末近いぜ、との感想は置いておくとしても。

 そして離婚を言い渡して行方を絶った妻ジェインの物語が、主人公(そういえばこの人は小説家志望)の道筋に重なったときに、三度目の驚愕が訪れる。いずれも前作を上回るツイスト構造であることは間違いない。この瞬間を最高の快感とするためにこの小説が書かれたことは間違いないと思うくらいに。作者の小賢しい笑顔に降参した読者たちの悔しさ半分の苦笑が見えてくるくらいに。

 というわけでこの作家は90%の人には薦めない。映画が好きであったり本が好きであったり、マニアックでフリークである人たちの魂を応援できるか賛同できるかする10%(もいるか?)の人たちのために存在する作家であると言い切っていいのかもしれない。ぼくは『ワイルド・バンチ』と、その映画でマパッチ将軍の役をやったエミリオ・フェルナンデスのその後のメキシコでの人気ぶりに関するトリビアが個人的な収穫であった。そういう魂の部分に触れる歓びみたいなところをつついてくるとてもいやらしい手口を持っているのである、このふざけた作家は。 

(2013.08.14)