破壊者




題名:破壊者
原題:The Breaker (1998)
作者:ミネット・ウォルターズ Minette Walters
訳者:成川裕子
発行:創元推理文庫 2011.12.22 初版
価格:\1,300



 ミネット・ウォルターズは年に一作程度の寡作小説家である。その上、東京創元社の場合概してそうなのだが、日本での翻訳発表が原作出版の10年後なんていうのも決して珍しくなく、本書もまた原書出版の13年後という、時を逸した感のあるこの出版事情だけは、今後是非どうにかして欲しいもの。本書のように、時代性において影響の少ない作品だから、という言い訳は絶対に不要である。読者はやはり、いい作家の、いい作品は、できるだけリアルタイムに読みたい。映画だって、『アルゴ』みたいにアカデミー賞を受賞するのと同時に、映画公開・DVD発売までをクリアしてしまう、そんな時との競争が当たり前の現代という時代なのだから、まるで魔女狩りの時代みたいにクラシックでゆるすぎる商品流通のシステムは、早々に改善して欲しいもの。海外翻訳ミステリの衰退を心配げに見つめる読者としては、さらに痛切な願いである。

 さて、作品の方だが、ローカルな海岸地帯における流れ着いた女性の死体。そのただひとつの事件をめぐって、地域に生活したり、ここを訪れたりする、実に多くの登場人物が、それぞれに語り、それぞれに動き回る。多くの人を登場させ、多くの人の目線で物語を追跡するゆえに、真相になかなか辿り着けないという、実に冗長で遠まわしでありながら、事件をめぐる社会構造の方に視点を集約したような長大な一冊である。ミステリの軸となるフーダニットの興味があったとしても、おそらくあまり満たされないだろう。そんな結末に至り、はて、この作品は果たしてミステリでさえあったのか? と疑問に思う読者も少なくないのではないだろうか?

 この物語の舞台となる地域の方が、まるで主役ででもあるかのように、この地域の地図と、サービスのよいことに写真までもが巻頭に揃えられている。この広大で美しい入江や岬を持つ海辺の田舎町に、事件と関係のある人やほとんど関係を持つとも言えないような人々の日常生活が、事件から受けた影響というようなものを、あくまでディテールにこだわり、人間たちの個性にこだわり、会話にこだわるかのように語り続ける作家のペンが、さすがに今回ばかりは、遠まわし過ぎて鼻についてならなかった。退屈な長回しのカメラ映像でできた出来の悪い映画脚本みたいに思える、というと言いすぎだろうか?

 作品のめざす主眼が、事件の真相というものではなく、事件の表面に見えなかったがやがて見えてくる、それぞれの事実の堆積にあると気づいてからは、真犯人はどうでもよく、むしろ死に至った女性の側の真実、殺されねばならなかった原因や、それを作り出す環境、また彼女の死がもたらした波紋のようなものを人々の眼を通して、映し出すことが本書の主眼であるのかと割り切るしかなかった。それはそれで狙いとしてはよいのだろうが、冗長は弛緩を産み、群像小説的視点は散漫を呼び、時間はのんびりと蛇行し始め、事件そのものへの興味も大きく育ちはしない。読書中、ついぞ心が高揚することがなかった。

 ミネット・ウォルターズは、そもそもディテールを大事にして、人間を大切にする作家ではあるものの、事件そのものの異様さ、特徴、癖のあるラディカルな犯人像といったものが、過激なまでの個性であったように思う。そしてストーリーテリングは申し分なく、独特の構成、異質な表現である新聞記事などの挿入、などによる少々エキセントリックなまでの扇情ぶりが、この人の現代的なエンターテインメント性を形づくり、読書的スピード感をもたらしていたように思う。この人がここまでどっしりと腰を据えて、当たり前のような小説を書いたのは今回初めてと言ってもいい。さほど、エンターテインメント性の面で鈍りを見せた、ぼくにとっては理解しにくい作品が本書であったのだが、この作家の継続読者としてはつくづく残念でならない一冊である。

(2013.06.09)
最終更新:2013年06月09日 08:21