完全なる首長竜の日




題名:完全なる首長竜の日
作者:乾 緑郎
発行:宝島社文庫 2013.05.03 8刷 2012.01.27 初刷 2011.01初版
価格:\562



 2009年に『このミステリーがすごい!』大賞を受賞したと聞いて、え? と思った。先にこの本を読んでいる妻に、確認する。----この本って、ミステリなのか? ----ミステリ? えーと何をもってミステリって言うの? ----えーと犯罪の有無かな。すくなくともアメリカのミステリを毎年選んでいる超有名なアンソロジストであるオットー・ペンズラーはそう言っている。

 正確にはこうだ。「犯罪か犯罪の脅威がテーマかプロットの核をなす作品」。その唯一の条件さえクリアしていれば、どんなに広義の解釈であろうと構わない。仮に時代物だってSFだっていいんだろうな、多分。それなのに、妻はこう答えた。----じゃ、これはミステリじゃないと思う。

 選者を確認。香山二三郎、吉野仁、茶木則雄、大森望。ううむ、大森さんはSF畑として、他はこれぞミステリって布陣であるのに、このミステリかどうかわからない作品をミステリに選んだわけである。うーむ。選ばれた理由は、単純に言うと素人離れしている作風、そして奇妙な心象風景的イメージ、サリンジャーの小説につなげる豪腕、といったところみたいだ。要するに巧い作品、っていうんだろうなあ。

 ちなみに高校から予備校時代にかけてぼくはサリンジャーの大ファンだった。入学まで待てずに大学のサリンジャー・ゼミに出席したくらいのファンだった。短編集『ナイン・ストーリーズ』のみならずサリンジャー文学の核となる作品が実はこの本書のタイトルが参考とした『バナナフィッシュにうってつけの日』(野崎孝訳:原題"The Perfect Day for Bananafish")である。

 荘子の「胡蝶の夢」をテーマに小説を書くと、どちらがリアルでどちらがビジョンなのかわからなくなるから、書き手としては読者を欺くのも自由だし、読み手はなんでもありのこの手の小説に対して正解を先読みしようとする。その謎解き勝負に陥りやすいのがこの手の作品の長所でもあり、短所でもあり、だと思う。

 語り口の巧さしか褒めるところがなかったのも、わかる気がする。なぜって、内容はなんでもあり、だからだ。サリンジャーへのオマージュあり、作中人物の一人称語りあり、作中人物の錯乱あり、どれがリアルかわからない物語の多重入れ子構造あり、だからだ。もしやこういう小説を読んだ人が、こうしたテーマで一斉に小説を書き始めたら、これに似た構造体でありながら、より面白い小説に辿り着けてしまうのではないか、という気もする。

 ゆえにジャッジしにくいジャンルである。せめてミステリとでも言い切れる犯罪らしき何かの痕跡でもあるのだったら、と思うのだが、この物語はどこの海底にも錨泊していない幽霊船のように夢遊を繰り返すと思う。たとえページの全巻を読み終えた後になっても、終わらない夢遊を。

(2013.06.02)
最終更新:2013年06月02日 22:18