ドンナ ビアンカ




題名:ドンナ・ビアンカ
作者:誉田哲也
発行:新潮社 2013.02.15 初版
価格:\1,500



 雑誌に書き継がれた短編のなかで、知らず生まれていた地味なヒロイン・魚住久江。42歳、独身。肩身の狭い喫煙者。犯罪は起こった後に捜査するのではなく、未然に嗅ぎつけて防ぎたいとの意図から、強行犯係に所属。短編集『ドルチェ』でブレイクアウトしたこのオトナの女刑事、初の長編デビューである。出版社は<恋愛捜査シリーズ>などと勝手なことをのたまう。なるほど、と思えないこともないが……。

 青春小説と警察小説。両方の看板を掲げる誉田哲也。彼の最新作は、まさに恋愛捜査の一冊であった。ダーク&バイオレンスを前面に出したサービス満点の警察小説を信条とする誉田ワールドであるけれど、クールを看板に掲げる87分署シリーズのエド・マクベインが『灰色のためらい』で、警察側ではなく、純朴だが犯罪に巻き込まれてゆくタイプの人間の孤独に焦点を当て、少しソフトでセンチな物語を書いたように、誉田哲也はこの『ドンナ・ビアンカ』を書いたのではあるまいか。その疑問は、読書中ぼくの頭からずっと離れることのないものだった。

 この長編小説は魚住久江のものなのに、実はそうではない。小説は、一方で犯人側の過去に遡った叙述により多くを進められてゆく。

 事件も事件だ。発生したのは奇妙な誘拐事件。しかし、身代金は、二千万円。努力すれば何だか支払えそうな額である。どこかリアルで事情のありそうな誘拐事件。怪しく疑わしい謎の数々。

 語りは、ずっと犯人側を中心にした視点で描かれる。取りたてて特徴のない人生を送る男41歳、酒屋の配送運転手。そこからの脱出。実はそこまでの欲もあまりなく、己の身の丈のなかで生きてきた男。しかし彼が27歳の無防備な女性と出会ったことで、彼らの人生は変わってゆく。俄かに目覚めた欲。信頼。愛。

 彼らの人生を支配する男の存在が、彼らの純朴を壊してゆく。だからとて、男はさして利口でもない。マリオネットをコントロールする能力に長けているわけでもなければ、犯罪を促す知性をうかがわせるわけではない。ただヒエラルキーで言えば生きる階層が少し彼らより上で、法人格の肩書きを過剰にまでバックに据えながら、個人の能力では無に等しいことを自覚できぬ男。いわばスーツを着た社会のダニ。

 三人のワルツが暗い影の中で踊られる。黄昏に長く伸びた影を、追いかける魚住チーム。しかしこの物語の中核は犯罪ではやはりなかった。中年男と、利用されることしか知らなかった女との純情な恋愛ドラマであった。この男女の眼線で物語はゴールに走り込んでゆく。不器用に、ごつごつと障害にぶつかりながら。クールさなどは微塵も伺わせず。

 捜査する側もクールとは程遠いヒロインの魚住である。だから成り立つ、この物語だ。結果的には、泣ける作品。このまとまり。誉田哲也。やはり巧い作家である。

(2003.05.04)
最終更新:2013年05月04日 22:28