ローラ・フェイとの最後の会話




題名:ローラ・フェイとの最後の会話
原題:The Last Talk with Lola Faye (2011)
作者:トマス・H・クック Thomas H. Cook
訳者:村松潔
発行:ハヤカワ・ミステリ 2011.10.15 初版
価格:\1,700

 トマス・H・クックは、私立探偵小説から昔々に卒業した。その後は、過去に材を置く独自な視点のミステリを書くというスタイルで、より高い成功を収めている。記憶シリーズ三部作と勝手に呼ばれているが、その三作だけで本当の記憶シリーズが終わったわけではなかった。

 トマス・H・クックは、今も、記憶をまさぐるミステリという創作手法にこだわり続けている。過去に材を取りながら、それを一人称や三人称で、何とかナチュラルに掘削してゆくような、いわば地下記憶の発掘作業のような小説づくりだ。いや、そういう言い方は失礼かもしれない。この作家の良さは、その独特でシックな文体であり、全体を通した上質なる叙情であり、第一級のストーリーテリングであるのだから。

 さて本書はタイトルのとおり、主人公ルークとローラ・フェイという過去の女性との会話から回送される物語だ。いつもよりミステリ色は強くないものの、南部を舞台にした貧しい土地での因習的な環境から逃れてきたルークに、過去のあまり歓迎したくはない真実が、ローラ・フェイという、かつては若く美しかった女性の形になって、再会を求めてきたものである。

 ルークの職業は歴史学者である。かつてあれほど理想に燃え、希って勝ち取った地位なのだが、仕事の内容には妥協点が多く、そもそも書こうとしていたのは、その場所、その時代に生きた人間たちの命を歴史に吹き込むことだった。しかし、今は、凡百の歴史本を二三冊書いただけという現実のジレンマと諦観に立ちすくんでいる。セントルイスでの自分でもつまらないとしか思えない講演会を終えると、もう二度と帰ることがないと思われる故郷グレンヴィルからやってきたローラ・フェイとの再会が待っていた。彼女はルークの過去について話をしたいという。

 酒場に場を移した二人の話が進めば進むほど、意識の水面に浮上することのなかった過去の真実が徐々に明らかになってゆく。ローラ・フェイは明らかに、このための様々な準備をしてきたこともわかってゆく。歴史学者ルークは、かつては、ハーヴァードに行くための資金を得るためなら何でもすると誓った少年だったのだ。夢が後押しすることで、現実の雑貨屋店主の後継という運命の輪から抜けけ出そうと強く思っていたのだ。それは結果的には実現しているのだけれども……。

 父と子の関係については、記憶シリーズからこの方トマス・H・クックが何度も何度も書いてきたテーマである。過去に旅することになる本書もまったく例外ではない、父を観察して育ったルークは自分が父のような人生を送るのではないことを望んでやまない。父の人生を肯定できないでいる少年がいる。父が自分の人生を救うのではなく自分の邪魔をしていると考えることがあり、自分の脱出環境を整えるのにどのように動くべきか、そのことばかりを日常的に強く意識している。

 無論、環境下(家族・学校・近隣・他)の葛藤、自分の内部での葛藤などが、ドラマチックに導き出されてゆくわけであるが、回想シーンに栞のように挟み込まれるのが、現在のローラ・フェイと酒を酌み交わしながら語る時間だ。今を組み立ててきた過去が現在にどのような影響を及ぼすことになるのか。現在と過去とを往還することで、ルークは過去を見つけ出し、現在から続く未来をも見つけ出してゆくことになるのだろうか。

 これまでの暗い一方のサスペンスフルなミステリの傾向が若干薄まり、より文芸的要素の濃い、しっとりとした作品として快く読んで行ける時間が、この本にはたっぷりと秘められている。邦訳も素晴らしく、日本語で綴られた文章は、とても訳文とは思えぬばかりに美しく流れるように綴られている。そうした極上の物語体験のなかで、少しだけ新しい、現在にも光をみせれくれるクックのストーリーに、とりあえず身を任せてみてはいかがだろうか。

(2013.05.04)