ディスクロージャー





題名:ディスクロージャー
原題:Disclosure (1993)
作者:マイクル・クライトン Michael Crchton
訳者:酒井昭伸
発行:早川書房 1993.12.15 初版
価格:\2,400(本体\2,330)


 この発言のタイトルでは全角の書名が、半角の作者名より大きいけれど、実際の本は書名より作者名の方がずっと大きかったりする。なにせ、クライトンと言えば、作品ができる前からその映画化権が既に売れているという、全米で最も商品価値のある作家なのだそうだ。だから本書も当然『ライジング・サン』に続いて映画化は既に決定済み。

 さて映画化そのものの話を最初にしたのは、わけがある。実はクライトンの作品って、実に映画感覚の小説に思えるのだ。ぼくの場合不勉強で『ライジング・サン』と本書しか読んでいないのだが、どちらもハリウッド映画を彷彿とさせるゴージャスな雰囲気がドラマに漂っていたりする。

 クライトン自らが、既に名を知られた映画監督であることをさておいても、実は映画化を既に念頭において書いているのではないか、と思われる節すら感じる。小説のリズム自体が既に映画の脚本をめざすがごとくで、実に読み進みやすい会話体が作品のほとんどを占めている。

 起承転結も何となくはっきりしているし、善悪もかなりわかりやすく、この構図、視界の広さというものは前作から引き継がれてそのままである。要するにぼくが言いたいのは、これはそういう種類の面白さが売り物の小説だということである。緻密で重厚な表現力による繊細な筆致というものは、むしろ皆無であって、ストーリーの、はずむようなリズムと、エネルギッシュな技の取合い、不当な主人公への同情と感情移入……そういった観客として映画を観た場合の、強引に引き込まれるような凄さというものをこの作家は心得ているのだと思う。

 さて主題のセクハラは、アメリカ特有の様々な裁判沙汰が土台になっているのであろうけれど、日本においてこういう種類の裁判というものは、まだぼくには現実感としてあまり強く感じられない。ただ日本人はこういう物事を隠そうとするパワーは他のどの民族に較べても強固なものがあるのだと思う。この本はそういったタブーとの一つの闘いのドラマなわけで、こういう本がクライトンという商標によって日本でも多くの企業人に読まれて行くなら、案外薮の中からいろいろな魑魅魍魎が飛び出して来るのかもしれない。それはそれで一つの期待できる現象であるな、とぼくは思ったりしているのだけれど。

(1994.01.14)