十一番目の戒律



題名 十一番目の戒律
原題 The Eleventh Commandment (1998)
著者 ジェフリー・アーチャー Jeffrey Archer
訳者 永井 淳
発行 新潮文庫 1999.2.1 初版
価格 \819


 海外翻訳冒険小説の中でなぜか狙撃ものが続いている。多くの小説の中で銃器が扱われ、そして死闘小説の色が濃くなってきている。そういう風潮の中で、やや年長の作家と言えるアーチャーが、言わば古いタイプのポリティカル・ミステリーをひねり出したのがこれ。

 主人公は狙撃屋であり、ベトナムのヒーローでる。定番。ただ惜しむらくは50歳を越え現役最後の仕事に向かうばかりの、家族思いの良き父、良き夫なのである。少しなごみすぎと思えるほどの狙撃者の生活臭と、米露大統領を軸にした超ポリティカルな過激話がすごくバランスを欠いて見える。思えばこの年代のベストセラー作家って、この種の強引さがあったし、そうでなければ今あるエンターテインメント小説黄金期などは作り出せなかったのかもしれない。

 ともかく大半は主人公を度外視して、過激でポリティカルな闘争劇が進行する。かつての米ソ冷戦を思わせるようなパワー・ウォーズ。その谷間で生贄に見立てられるのが主人公の狙撃屋、即ち年老いたベトナムの英雄なのである。

 『極大射程』がストレート極まりない兵士の世界であるとするならば、アーチャーは政治屋出身作家らしく、個人や家族を犠牲にしてやまない国家間戦争の世界である。同じタイプの狙撃者を据えて、作家の焦点の絞り方はこうも違う……。

 国家暴力と言えば、今、ユーゴが戦火の中にあるが、一方アメリカでは学校での自動小銃乱射で数十人の犠牲者(子供たちにだ!)が出た。国家が相変わらずパワー・ゲームに走っているうちに、アメリカはどんどん病んでいる。遠い他国で響く銃声も、平和な学校で生徒たちを射撃する弾丸も、同じ銃から放たれるものであることを考えると、なぜか国家的病の重篤さはますます過酷に感じられ、痛ましい。

 学校で銃を乱射した犯人たちはヒットラーの命日を記念したかもしれないという。何と劇画的なことか。そんな時代なのだ。この小説の方も劇画的とは言え、それこそが今ではリアルなのかと思うと、ハッピーなんだかロンリーなんだかわからないこの作品の終わり方はないだろうよ、と苛立つことこのうえない。

 仕掛けがいっぱいだぞといくら訳者あとがきで自己宣伝しようと、プロットがここまでいい加減いろいろな方向を向いてしまっては、小説として相当の不完全さを拭い切れない。面白さではページターナーと言えるだけに、プロットが軽い印象が残念だ。

 『極大射程』にはロマンや憧れを感じるけれど、こちらのスナイパーにはアイロニー以外に感じられない。中盤、悲劇からの復讐かと思えば、その情念が断ち切られるような、持久力のない小説。だからこそ面白さ優先での人間性軽視の印象を最後まで引きずっていて、感情移入どころではないのである。うーむ。この手の小説にはイージー・リーディングという読者側のスタンスを前もってオススメしておきます。

(1995.04.21)
最終更新:2013年05月02日 21:38