ガール・クレイジー



題名:ガール・クレイジー
原題:Like a Hole in the Head (1998)
作者:Jen Banbury
訳者:小西未来
発行:河出書房新社 2000.7.21 初版
価格:\1,800


 正直言って女性主人公の小説を読んで共感をたっぷりと覚えたという経験、あるいはその女性に感情移入をたっぷりとしたという経験は、ぼくにはあまりない。女性主人公にぐっとくるということはそれ以上に機会がない。そういうぼくでさえも、完全にまいってしまった女。それがこの物語のヒロイン、ジルだったのだ。

 何しろジルは落ちこぼれである。何よりも自分をそうだと固く決めつけている。古本屋のパートタイム店員というささやかな職業のこの頃が、彼女にとってはやっと見つけた精一杯の幸せな生活であったのだ。孤独だけれど面白い本を沢山読める幸せがあったのだ。一冊の稀覯本を起点にそれらの日々が一気に壊されてゆくまでは。

 いわゆる巻き込まれ型ミステリー。それでいて、しおらしく巻き込まれているわけでもない。酒は大量に飲む。口では悪党にも負けない。二枚目青年には軽く引っかかってしまう。古本屋の日常生活に戻ることをいつも願っているのに、明日なきアウトローのようなやけになったような側面をいつも覗かせる。弱さも強さもどちらも極端なほど不安定に存在する女の子。

 その彼女にはそうなってしまった原因がちゃんとある。そう遠くない過去の秘密はやがて明かされる。その頃には事件は最初には思っても見なかったほどに過酷な表情を見せ始めている。思いの外にハードボイルドなヒロインに、ぼくはここでまいってしまったのだ。これではまるでディック・フランシスの『大穴』ではないか。女性版シッド・ハーレーではないか。フランシス作品ほど決まってもいないところが、シッド以上に可愛らしく親しみやすいのだけれども。

 言い忘れてはならないのだが、多くの脇役がとても印象深い。小人と大男のコンビが凄い。大男は特に凄い。ジルを取り巻く街の男どもも何とも味がある。あまり可愛げのない犬や猫も、子どもたちまでも生き生きとして見えている。彼らのいる生活を見ていると、まさにハードボイルドの香りが漂ってくるのだ。それは正当なほどに卑しき街の匂いだ。生活にまみれた悪臭でありながら、心地よい街の風。

 ユーモラスな一人称が乾いた犯罪をオブラートでくるんでいながらも、最後まで口元に残るビターな気配。ロス・トーマスを思わせる緊張と弛緩の交差したバランスの取れたクライムのリズム。何とも奇妙で希有で、おまけに底抜けに明るく、残酷で、感動的。

 シリーズ化がならないものだろうかと本気で願ってしまう。脇役たちにも再開したい。ジルにはもっと再開したい。

 ちなみに、ピンクの下地にピストルを持った娘のイラストという本は、昼時に小脇に抱えて喫茶店へ歩く中年サラリーマンの身には、少し恥ずかしいものがありました。

(2000.09.11)
最終更新:2013年04月30日 17:57