ラット・トラップ




題名:ラット・トラップ
原題:Rat Trap (1976)
作者:クレイグ・トーマス Craig Thpmas
訳者:広瀬順弘
発行:ハヤカワ文庫NV 1988.7.31 初版
定価:\540(本体\524)


 今では古い作品だけど、ソ連邦内の軍事クーデターを扱った小説で、昨年実際に起こったのはお粗末なクーデターだったにしても、この作品が書かれた時点ではまだ恐怖がまざまざと生きている。ゴルバチョフの拉致のときにも、果たしてその結果が現われるまでは世界は震憾したわけで、この本もそういう可能性分岐のひとつとして存在し得たことを想うと、なかなかの情報戦ドラマとなっていて、面白く読める。「今頃こんなテーマは」ではなく、「今だからこそこのテーマを」と思わせられた一面があった。

 しかし、これまでのトーマス作品との違いはあまりにも如実だから、人によってかなり好き嫌いが出るのではないか。国際情報戦自体を楽しめる方以外にはお薦めしにくい本でもある。第一に主人公が特定しにくいこと。主人公らしき男とタイトルの<白はやぶさ作戦>が結びつきようがないので、どうもこのあたり当惑わされる。

また話のスケールが大きいわりには、一個人の物語をも強引に絡めようとしてやや欲張り過ぎのイメージがある。最後はなんとなくトーマスらしく終わるのだが、はっきり言ってこれはマレル『ブラック・プリンス』などに代表される、今ではよく使われるネタ。まあ、ソ連という国自体を作品で大きく取り上げて、その病巣を抉るみたいな気持ちが作者にあったのに違いなく、そのあたりは五月蝿いほど作品全体に執拗について回っている。この辺りが楽しめるかどうかで評価は自ずと変わってくるのだろう。

 結構楽しめるトーマスらしいサスペンスフルな冒険アクション部分と、心理描写に多くを裂いている部分とのリズムの斑(むら)が激しすぎて全体的に纏まりを欠くし、日本語訳もこなれていなくて良くない。井上一夫さんは87分署でもちょっと問題ありなのだが、固有名詞など他作品と統一する努力などしたがらない人なんだろうか? それにこの手の小説には全然向かないような、なんとなくくどくて主語・述語が見つけにくいような解説調の文体。原文のせいもあるのだろうけどこんなに読みにくい日本文は珍しいくらいで、このおかげで随分作品も損をしていると思ってしまった。おかげで読解に時間がかかったこと(;_;)

 ちなみに前半はかったるく、なかなか読み進まないが途中から加速できます。北欧やシベリアを舞台にした雪の中のアクション・シーン、逃走シーンはこの作家の十八番というか、もうピカイチの手に汗握る面白さでありました。ただ、この本そう簡単には手に入らないのではないだろうか? 貸してくれた五条君、ありがとう、ペコリ。

(1991.09.10)
最終更新:2013年04月29日 23:08