暗闇の囚人



題名:暗闇の囚人
原題:After Dark (1995)
作者:フィリップ・マーゴリン Phillip Margolin
訳者:田口俊樹
発行:早川書房 1996.2.29 初版
価格:\2,200


 日本でのデビュー作『黒い薔薇』は凄かった。もうほとんど内容は覚えていないのに滅法面白かったとの強烈な印象ばかりをこの作家は残したままで、そのままこの作家の名は日本のミステリー・マーケットにプレミア付きの名を残したものだった。その作家の遅れてきた新邦訳作品がこれ。

 前作であれほどの印象を残した作家の次作というのは、作家にとっては厳しいものかもしれないが、読者にとっては頼もしいもので、これはページを開いた途端に保証付のものとなってしまった。一度読み出したら導火線に火をつけたようなものだというダイナマイト・スリラー、なんていう謳い文句が少しも大袈裟ではないところが、マーゴリンの凄いところである。

 本職が弁護士なだけに流行のリーガル・サスペンスであることは間違いないのだが、やはり読んで引き込まれる法廷に集まるのは、どちらかと言うと日常から逸脱した感のある魑魅魍魎ども。考えてみれば、ぼくらの生活だって、法廷に引きずり出されることなどできるだけないほうが良いわけだから、法廷が日常から一歩出たところにある危険なシーンであることは当たり前の話なのかもしれない。

 だからこそリーガル・サスペンスなどというジャンルがけっこう幅を利かせて売れているというのもあるのだろうけど、法廷を中心としていながらも、しっかりと法律に興味のない人を引きつけるスリラーを書くということに、ソローもグリシャムも苦心してきたのだ。そして並み居る法曹会作家の中でも最もエンターテインメント性の高いのが、このマーゴリンという人であることにおそらく多くの読者は異論はあるまいと思う。

 とりわけこれだという主人公がいない代わりに、何人もキャラクターが主人公のようにも見えてくる。心理描写、性格描写に筆を費やしながら、どうも今ひとつこれと言う主人公に共感を定めることができない。読むほどに懐疑的にならざるを得ない仕掛けだらけのミステリーといったところか。

 精神描写にサイコキラーとしての凄味がないのが残念だが、それを補って余りあるほどの狂気にも似た謀略の数々があり、多くの人物の表面と真意との間の計り知れない溝を読者は辿らねばならないところがこのミステリーのツボなのかもしれない。複線は多く、絡み合った多くの状況が最後にドンデン返しを呼ぶ。

 職人的なスリラーだけど丁寧な仕事である。未邦訳の初期作品は近々文庫化もされるらしい。となると、この後マーゴリン・ブームは徐々にだがかなり強烈に日本を急襲するのではないか、と内心楽しみにしている。

(1996.07.17)
最終更新:2013年04月29日 18:51