ブルー・リング



題名:ブルー・リング
原題:THE BLUE RING (1993)
作者:A・J・クィネル A.J.QUINNELL
訳者:大熊栄
発行:新潮文庫 1995.2.1 初版
価格:\720(本体\699)


 ぼくは今までクィネルという作家にはまれなかった読者であるから、もとよりクリーシィといういささかマシン化しだできのいい元傭兵という主人公設定にも、なんらの共感も覚えなかった。一作目がそういう意味ではぼくには最も面白くなく、これではマック・ボランではないか、程度の感想しか持ち得なかった。

 二作目では、少し違った。孤児院から機械的に孤児を抽出して、機械的な母親を与えてみたが、その擬似家族に情が通い始めるあたり、印象に残った。いや、むしろ本筋は思い出せもしないけれど、この部分のみが強く印象に残った。本筋の方は、今でも劇画みたいな軽い面白さでしかなかったように思える。

 そして三作目をこうして手に取ってみると、クリーシィに共感を覚えていた読者より、遥かに自分がこちらのプロットを好きであるということがはっきりした。クリーシィがひとりで何でもかんでもスーパーマンのように解決してゆく物語よりは、前作までで培った多くの違う種類の人間たちのチームによる戦い、といったもののほうがよほど面白く読めるのだ。

 思えば『マフィアへの闘い』でも、マック・ボラン一人の復讐ものよりは、抹殺部隊の出現の方がぼくはよほど嬉しかった。一人のスーパー工作員が活躍する『秘密探偵JA』よりは、非情と浪花節の交錯する『ワイルド7』の方がよほど心に残った。

 そんなわけでチームものならではの人間同士のしがらみ、時には演歌臭いほどの愁嘆場まで用意してしまうこの三作目には、なかなかの期待を持ってしまったのである。そうしてみると、ぼくは初めて感じたのだが、ゴッツォのタフネス主婦ラウラのセリフは、ヴァクス描くところのバーク・シリーズのママ・ウォンのセリフによく似ているのだった。

 やはり彼らは最初からチームだったのだ。シリーズというのは回を重ねる毎に、人間相関図を拡大する。それなり作中の世界も深まってゆくものなのだなあ。

(1995.02.25)