ラスト・ドン


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題名:ラスト・ドン
原題:The Last Don (1996)
作者:Mario Puzo
訳者:後藤安彦
発行:早川書房 1996.12.15 初版
価格:\2,500(本体\2,427)

 最近読み応えのある本に飢えてしまって、とにかく分厚い本、スケールの大きい本というものを持っていたかったりする。出張の多い身にはこういう本を持って歩くのは体力的にきついのだけれど、そうでもしないと読書時間が取れないので仕方がない。今日も名古屋へ日帰り出張という往復の機内で、この本を半月ぶりに読み終えたのである。思えばこの本は釧路にも旭川にも名古屋にも旅をしたのだ。おまけに今日は、もう一冊ハードカバーを持っていたからね。いまどきの読書家は体力がないなんて言ってられないのである。

 閑話休題。『ゴッドファーザー』シリーズで二度もアカデミー脚本賞を取ってしまった脚本家が本職ではないはずの作家というのは、他に例を見ないとは思うけれど、マリオ・プーヅォはその唯一無比の人だ。作家ではなく『ゴッドファーザー』の脚本家としてのほうが有名になってしまった、ある意味では大変悲劇的な作家だ。

 この作品はひさびさのマフィアもの、作品としては『第四のK』以来か。マフィアが社会のある方面における権力の触手を伸ばしてゆくことで、徐々に非合法から合法企業への脱皮を図る構図がこの作品のバックグラウンド。主としてラスベガスとハリウッド
が、彼らの、足を洗うためのゴージャスな舞台となる。そこに美貌の女優との恋愛、そしてドンパチ。実に映像的な作品であり、読み応えがある。

 しかし、このところノヴェル・ノワールの世界に君臨しているエルロイ、ヴァクスなどのあの緊張感からは、少し距離が置かれていて物足りない感があるのは、読者として贅沢な悩みであろうか。プーヅォのような正統派大作派作家は、少し時代としては物足りないところがあるのだ。ぼく自身主人公のクレイジィ度などで作品価値を推し量る傾向が出てきているこの時代に、せっかくの少し狂気じみた葛藤を内在させた主人公をこのように正統なタッチで描いてしまうというのがもったいないようにさえ思えてしまうのだ。

 それにこの作品の寄り道の多さ。本の帯の謳い文句が『愛と権力の叙事詩(エピック)』となってはいるが、エピックゆえの壮大な書き込みの多さ、登場人物の多さ、混沌……非常に焦点が絞りにくく読み進みにくいものがあった。ディテール描写かと思うと、次には長大な歳月を奔放に飛び歩く自由さ。これがエピックであるなら、日本人読者はこういうものを非常に読み慣れていないと思う。

 たまには大作をと思われる方にお薦めしておきます。

(1997.06.03)