ブラッシュ・オフ



題名:ブラッシュ・オフ
原題:The Brush-Off (1996)
作者:シェイン・マローニー Shane Maloney
訳者:浜野アキオ
発行:文春文庫 2002.12.10 初版
価格:\781


 非常に正当なハードボイルドなのだが、いろいろな意味で特徴のある作品。まず、これが文春文庫オーストラリア・ミステリ・コレクションという、翻訳小説としては珍しい国で生まれた作品の一つであること。2002年末に三冊同時刊行されたのだが、どれも何らかのタイトルを獲得しているものらしく、この作品はオーストラリア推理作家協会最優秀長編賞を獲得している。別名ネッド・ケリー賞。オーストラリアのエドガー賞とも言われている由緒ある賞らしい。ミステリではあまり知られていない国の力のレベルを測るには手ごろな作品だというわけだ。

さて出自国についてはともかく、作品についてであるが、最初に描いたようにハメットやチャンドラーの流れを汲む非常に正統派のハードボイルドである。へらず口を叩き、卑しき街をさすらい、派手に動き回り、あちこちをつつき回すことで犯人を掻き出すような捜査方法を取る。卑しき街と言ってもギャングがのして歩くような下品な街ではなさそうな首都メルボルン。郊外に出るとどこまでも続く沙漠と原始の地形が待ち受け、野生の生物が徘徊していそうである。どこかアメリカ以上に深南部的雰囲気をまとわせていたりする。熱い風が吹き、太陽が惜しみなく光を振りまく。まるでマイアミのような土地だが、ここはあくまでオーストラリア。

さらに珍しいのは主人公の設定。いわゆる閣僚の補佐官という、ハードボイルドとしては極めて珍しい商売だ。閣僚の任期が切れるたびに所属する省庁の専門分野が変わっては、失職の危機にさらされたりもする、かなり刹那的な商売であるらしい。フリーな便利屋のようでもあるし、政治のトラブル・シューターといってかまわないかもしれない。縁の下のときには割りに合わない類いの仕事だ。この作家の作品は、すべてこの主人公マレー・ホイーランのシリーズであるそうだ。本作はニ作目だが、ボスがちょうど少数民族問題担当省から配置転換となり、上水道省と芸術省の兼任となったところ。上水道省と芸術省だって? うーむ……っていうのが読み出したときの感覚。

いきなり不得手である芸術省担当補佐官の仕事で忙しくなる。問題の多い死体がごろり。美術界の裏にひそみ、金、性、名誉といった欲望を食らいまくる魍魎たちが見え隠れする。国家予算と文化のはざまに踊る大金。男や女のそれぞれに関わりの見えない動き。死んだ画家の謎。錯綜した政治と芸術との隘路をくぐり抜けてゆくディテールを、とにっかう精緻に描ききった作品である。テーマや題材が政治に芸術、というだけで腰が引けそうになるけれど、別れた妻のもとから息子が遊びにくる一週間が、事件の上にもろに重なる。父と子のサイド・ストーリーが、大きなスキャンダルの隙間を埋めてゆく一人称での表現、リズム、テンポ、駆け引き、情のやりとりが味わい深い。

原語での洒落がかなり多いらしく、凝った表現がそこかしこにばら撒かれている。訳者の苦心が思いやられるような日本語化だ。そういう意味では隅々にまでサービスのゆき届いた作品なのだと思う。非常に丁寧に仕上げられた仕事というイメージが強い。好感の持てる一冊である。

(2003.04.04)
最終更新:2013年04月28日 22:00