神は銃弾




題名:神は銃弾
原題:God Is Bullet (1999)
作者:ボストン・テラン Boston Teran
訳者:田口俊樹
発行:文春文庫<パルプ・ノワール2001> 2001.09.10 初版 2002.4.10 7刷
価格:\829

 文春のパルプ・ノワールという選書はそれなりに好評だという話だけれど、無理をして名前負けしてしまうというようではあまりにも陳腐だ。実際のところ本書はパルプでもないしノワールでもなかろうというのがぼくの感想である。パルプの軽さよりも純文学に志向するような、重く哲学的な側面を抜きにして語ることはできないし、凝りに凝った文章は到底パルプのリズムを刻んでいるとは言い難いだろう。よく見れば見るほど、一つ一つの文章が繊細に刻まれた彫刻のようで、これではまるで散文詩の世界だ。

 しかしそれだけ凝りながら読みづらい文章のくせに、これだけ読ませてしまったメインストーリーの魅力というところに抗い難いなにがしかの読みどころはあるのだと思う。だからと言って登場人物のすべてが同じ曲調で同じ音を奏でるという芝居はあまりにも奇妙過ぎてそうそう許容されるものではないと思う。そこに作者の若書きを、そして独り善がりを感じる。才賦ということも感じないではないけれど、それはエンターテインメントやノワールという単調な荒野には似つかわしくないものだ。

 ことに神を論じ始めると大抵の日本人はお手上げなのじゃないか。神に反する呪術的なカルトについても。そうは言っても神に縁のない日常からするりと抜け落ちて大量殺人へ走るカルト教団が実際に化学兵器を使って無差別殺人をやらかしたのは未だ持って日本だけなのだけれど。針はことごとく両極端に触れたがる。

 ただそういう大量集団であるゆえに集団催眠を生むカルトと、本書に出てくる悪のグループはスケールの意味でも行動学規範の意味でも全く違っているように思える。要するにこいつらのどこがカルトなのだろうか? といった疑問。こいつらの内燃機関は一体なんだろう?

 では、どう見えるのか? 『マッドマックス』の世紀末的ラリハイ武装集団に見える。ストーリーはまるで『北斗の拳』のようだ。雰囲気はまるでファンタジーSFのように見える。文章はまるで本格ゴシック怪奇小説である。かくもぼくの求めたパルプ・フィクションとは正反対をの方角を向いているのだが、ある意味で暗い面のみが走り抜けたような印象の小説であることと、暴力の凄まじさ、情念の扱いにくさ、ヒロインの捨て身な魅力などによって、ともするとファム・ファタール付きのいかれたノワールに見えてしまわないこともない。

 エネルギッシュでパワフルだとは思うが、抽象の多さが何よりも疲れる本で、これが一般向けに『2001年このミス第1位』と謳われるのは表現という段階だけでも既に疑わし過ぎるような気がする。『このミス』もここまでひねくれて啓蒙者たらんとする必要はないだろう。誰が読んでも面白い大衆性については根底のところですっかり忘れ、無理矢理異種の作品を持ち上げる人が多いみたいだが、そんなことではせっかくのアンケートの価値が失われ、そのうち人々から見放されるようになると思う。

(2003.01.21)
最終更新:2013年04月28日 21:21