償いの報酬




作品:償いの報酬
作者:ローレンス・ブロック
訳者:田口俊樹
発行:二見文庫 2012.10.20 初版
価格:\933

 ハードボイルドの系譜が多岐に渡るなか、しっかりと野太い直列のラインで引かれた直系のシリーズが、このマシュー(マット)・スカダーのシリーズであろう。免許を持たないホテル住まいであっても、元刑事で今は探偵というアメリカン・スタンダードをしっかりと抑えつつ、卑しき街をゆく誇り高き男、という構図を崩さない。しかしながら、このシリーズは跳弾による少女の死と刺し違える格好で警察を辞め、離婚し、アル中に陥る探偵という贖罪の重さを一方で売りにしている。
 名作『八百万の死にざま』は、禁酒の前後を切り分ける重要な作品となったが、マットが事件と向かい合いながらも己と闘ってゆく凄まじい姿は、今も深く読書体験の記憶に残って消えないものである。
 本作は、夜明け近くに、地元の悪党でなぜかマットの最大の理解者でもあるミック・バルーに対し、「※夜明けの光の中で」語り聴かせる過去の物語という形式を取っている。どれくらい過去かというと、まさに『八百万の死にざま』のすぐ直後、すなわち、まだ禁酒生活を始めて間もない頃のこと、という設定。
(*『夜明けの光の中で』は短編集『夜明けの光の中で』収録の短編作品であり、ミック・バルーとの朝の対話を扱った物語。)
 贖罪を一方のテーマにしたシリーズと先に書いたが、本作は、まさにもうひとりのマットとも言うべき、幼ななじみで禁酒仲間のジャック・エラリーの贖罪こそが事件の中心となっている。禁酒プログラムとして、昔、犯した罪の<埋め合わせ>をして歩いていたエラリーが、射殺されてしまい、マットは真犯人を探し始める。
 マットはエラリーの贖罪プログラムを軸に様々な人物へのインタビューを行い、様々な深み奥行を観察して歩く様が、この本の全体を構築する素材となっている。それらの風景とシーンのコラージュを通じて、強く感じられるのは、ローレンス・ブロックという作家の文章の味、ノスタルジックなニューヨークを書いたら右に出る者がいないであろうその一流のストーリー・テリングである。
 ブロックは一方で軽妙な泥棒シリーズや殺し屋シリーズを書いたり、他にも独立したスタイリッシュなミステリーはお手のものといった作家であるが、しばらく本シリーズから遠ざかっていたせいか、スカダーものの持つ暗さというより、もう一方の明るくドライなディテール描写技術が改めて意識され、明暗併せ持つこの作家の力量がむしろ作品の辺々に行きわたって見られる気がして、かつてよりもずっと噛めば噛むほど味が出る小説、という風に見えてきてしまったのだが、これはぼくだけの感覚だろうか?
 古いニューヨークとその変化の中で、ある時代を懐かしみ、今という時代に生きゆく探偵の、哀愁溢れる回想を、この一冊を通して、できるだけ多くの人に是非とも味わって頂きたく思ってやまない。

(2012.12.26)
最終更新:2012年12月26日 12:55