雑司ヶ谷R.I.P.





題名:雑司ヶ谷R.I.P.
作者:樋口毅宏
発行:新潮社 2011.02.25 初版
価格:\1,600


 凄い作家が現れたものだ。『民宿雪国』で、その奇妙な作風に唖然とし、『さらば雑司ヶ谷』でその暴れっぷりに朦朧としたのだが、それを引き継ぐ本書では、さらにスケールアップしてこの作家の未だ見えぬ底の深さを思い知らせてくれる。

 破壊力、クレイジー度合い、無法さ、好き勝手さ、法螺の巨きさ、下品度、スプラッタ度、妄想力、等々においてそこらの作品を完全に凌駕している。

 ジャンルとしても規定し難いほどのごった煮であるにせよ、総じてみれば都市型ノワールと呼んでいいかもしれない。

 雑司ヶ谷という地域がよくわからなくて、ネット地図で調べたところ、路面電車に雑司ヶ谷という駅があるのか。この辺は車でよく走っていたけれど、雑司ヶ谷の名にはあまり覚えがなかった。宗教法人がうようよしているのもこの辺り。学習院や、田中角栄の家もこのあたりにあったっけね。

 なぜ雑司ヶ谷に魔の存在たる泰(たい)という猛女が棲むのか、その辺りは『さらば雑司ヶ谷』では明らかにされていなかったのだが、本書はその泰の人生を昭和史に沿って綿密、かつドラマチックに描いてゆく。その破天荒さ、無軌道ぶり、お下劣さなどは権力者イメージそのものなのだが、それを成し遂げる形が宗教であるというあたりが、雑司ヶ谷という土地にフィットするものがあるのかな。

 逆転また逆転の裏切りが連続する中で、太郎という直系子孫(前作『さらば雑司ヶ谷』の主人公)が、アイデンティティを求める旅と、同じく、過去へフェイドバックしての泰の生き様とが、巨大スケールの日本裏面史というような闇のクロニクルを紡いでしまうところが、この作者の並ではない筆力を匂わせている。

 従来の小説というイメージをとことん破壊するそのポテンシャルは、和製ジェイムズ・エルロイと言え、打海文三の法螺話を引き継ぐ都市ノワールの系譜を継ぐ者とも呼びたくなる。

 泰という母の死に始まる本書から昭和史ごと振り返ってゆくこの小説を読む間に、ぼくの実母が亡くなったのだが、物語中の時代時代の描写と、実母の生きた時代とが、どこか重なる辺り、なんだか運命のように感じつつ、多忙のさなか、本書を少しずつ読み進めていた。

 大いなる母の死を通して、その子供らがアイデンティティを求めて命を駆け引きしてゆく小説に、リアルな己れがどこかで重なってしまうような錯覚に落ちて行ったのである。 

(2011.4.16)
最終更新:2012年01月24日 01:20