つばさものがたり





題名:つばさものがたり
作者:雫井脩介
発行:小学館 2010.08.03 初版
価格:\1,500



 雫井脩介の筆力にはいつも脱帽。

 ミステリ作家として注目したはずなのに、『クローズド・ノート』という女性小説で凄腕を発揮して見せた。映画化に当たって沢尻エリカの「別に」会見でこの作品が超有名になってしまったことは置いといて。

 今回は女性小説というよりはホームドラマなのかな? わかりやすく言えば、いわゆる癌との闘病小説でもある。余命いくばくもないヒロイン小麦と、彼女を取り巻く家族たちの物語というタイプだ。

 作品のごく最初の方で、ヒロイン小麦が癌に侵されている情報は、読者にだけ明らかにされる。小麦は放射線治療を受けていることも、癌細胞が転移しておりもう治療のすべがないことも、家族に言わず自分の中に抱え込んでいる。さてこれからの彼女の残りの人生はどうなるのか? 家族との今後の生活はどうなるのか?

   それだけ書くととてもありきたりなのだが、本書はその後の過程が、タイトルでも表されている通り、いわゆる普通ではない。雫井という作家がありきたりの作品を書くわけがないのだ。

 ヒロインの甥っ子に当たる叶夢(かなむ)ちゃんとこの子だけが見ることのできる天使レイの存在がこの物語のポイントなのである。天使と言ってもレイは妖精とのハーフらしく、天使として人間のなかで生きるか、妖精として森に生きるかを、これから決めてゆかねばならないらしい。天使として人間のなかで生きることを希望するレイは、翼を使っての飛行テストを志願するらしい。

 叶夢ちゃんを通して、家族は天使レイを実在するものと仮定し、小麦は病気を隠したままパティシエールとしての道を歩み出す。夢を叶えるという名前の甥っ子と、残された日々を夢に向かってせいいっぱい歩き出す小麦とのクロスロードこそがこの物語を秀逸で唯一のものにする核の部分だ。

 小麦の新しい日々は、順風満帆とはとても言えず、治療により味覚を失った小麦はケーキ作りにおいて挫折を見たり、家族や仲間とのデリケートな距離づくりそのものが、悩みにつながったりもする。雫井脩介のペンは、それらの機微を拾いながら、全体ではしっかりした起承転結というかたちでストーリーテリングをしてくれるので、どちらかといえば一気読みを余儀なくされる、いわゆる夢中になって読める小説に仕上がっている。

 当然、こちらはクライマックスに備え、滂沱の涙だけは防ぐぞと、身構えているわけだが、予測どおりというか、『クローズド・ノート』の雪辱も叶うことなく、作者の術中に陥り、まんまと涙腺をやられてしまうのだった。これは駄目だ、とぼくは諦めました

 本当に素晴らしい小説である。この作家の文才にはいつもながら惜しみなき賞賛を贈りたい。

(2011.01.30)
最終更新:2011年01月31日 00:58