エウスカディ






題名:エウスカディ 上/下
作者:馳 星周
発行:角川書店 2010.9.30 初版
価格:各\1,800

 日本冒険小説協会ができた頃、その名の通り、日本では冒険小説の名が一躍読書会を賑わした。これまでとはスケールを異にした日本の作家による世界を舞台にした冒険小説が次々と書かれ、時代の寵児とも言われるべき作家の精鋭たちが登場したのだ。

 船戸与一、逢坂剛、佐々木譲、森 詠、いずれの作家もその後日本のエンターテインメントを代表するような活躍を見せ、確かにあの時代に金字塔を掲げて今、さらに題材を求め、語り部の術に磨きをかけ冒険小説を追求する道を選ぶ者もあれば、異なるジャンルや時代のニーズにフィットして自分を変えてゆく道を選ぶ者もあったろう。

 その日本冒険小説協会の会長にはハードボイルド芸人・内藤陳が会長となったわけだが、彼が店に立つのを条件に協会はゴールデン街の店を借りることができたと聴く。その店はギャビン・ライアルの名作の名を取って「深夜+1」という酒場として開店。

 本書の著者である馳星周は当時、横浜の某大学を受験する道すがらこの店を訪れる。日高育ちの馳は、横浜の某大学に入学するや否や、この店でアルバイトを開始し、連夜店のカウンターに立った。毎夜、内藤陳の読書薀蓄に耳を傾け、多くの作家や、多くの評論家や、多くの翻訳者や、多くの読書オタク、その他ゴールデン街や歌舞伎町界隈の夜の仕事師たちに出会って、尋常ならざる都会での青春をスタートさせた。

 日高から歌舞伎町には距離だけでは測ることのできない隔たりを感じただろう。そして冒険小説が日本で次々と産声をあげてゆく様に震えただろう。その道の大物たちからの言葉に熱くなったろう。多感で繊細な彼の青春は、今の馳星周という冒険小説作家を作るまでに「暗黒小説」「馳ノワール」などという回り道をせねばならなかった。

 「馳ノワール」の辛味が聴きすぎて、この人はノワールに拘り続けると最後まで走り続けることができないんじゃないだろうか、とぼくは内心不安であった。焼き直しだけでは作家人生は成り立たんぞ、とそれなり真剣に。

 ここ数年、馳星周の文体やプロットに関し、ノワールへのこだわりからの脱却が明らかに見られる。主人公の生死に関わりなく、悲劇であろうが喜劇であろうが、彼らの真摯な生き様の背景に、時代や風土の重さが与えられ、プロット重視である以上に構築された物語の美学のようなもの、一言で言えば風格が加わるようになった。

 本書『エウスカディ』は、また1マイル、馳の道標を先に延ばした素晴らしい作品だ。これまで冒険小説の時代に生まれた作家たちしか書かなかったほどのスケールで世界に物語を翔かせた。なかでも彼の今回チャレンジしたバスク地方は、かつて森 詠や逢坂剛が常に題材にせんとしていた、いわば大御所たちの踏み跡でもある。

 そんな場所に、馳星周という遅れてきた冒険作家は、大きな叙事詩を刻んだのだ。彼と毎夜のようにチャットで話していた時代、スティーブン・ハンターの『さらばカタロニヤ戦線』を話題にして双方熱く語った想い出がある。スペイン、ETA、カタロニア、そしてバスク、彼はあのハンターにまでチャレンジをしてみせたのだ。

 歌舞伎町のバーカウンターから、バスクのバルへとはるばるショバを変えにいった馳星周、その不動な視線のうちに作家としての自信がより強固に育まれてきているのを感じる。

 もう船戸ら先輩陣の領域には来てるよな。ぼくは内心の驚愕を隠せずにそう呟いているのだった。

 ※ちなみに『猛き箱船』を熱く語り合ったのも馳であった。

 ※ちなみにエウスカディはバスク語で「バスク」を意味する言葉らしい。侵略されると言葉までが使用禁止になり失われてゆくため、非侵略民族は尊厳どころか民族の言葉まで失う。馳星周の育った日高地区では今も文章という形では残らないユーカリをアイヌ民族の大切な伝承文化として残そうという運動がわずかながら続けられている。

(2011/01/22)
最終更新:2011年01月22日 20:13