マンチュリアン・リポート





題名:マンチュリアン・リポート
作者:浅田次郎
発行:講談社 2010.09.17 初版
価格:\1,500



 『蒼穹の昴』という大作の直後に『珍妃の井戸』という軽いイメージのミステリーが続いたのは、それが、大作の語りつくせなかったもの、否、おそらく敢えて語り残したものを、大作の重たい世界が齎した読書的疲労感を優しく癒すかのようにマイルドに奏でる役割を担ったからに違いない。

 そして今、歴史は繰り返す。『中原の虹』というさらなる大作の終了後、それらの歴史劇の最終ポイントと、その痛ましき歴史の音を叙情というオブラートにくるんで奏でるかのように本書『マンチュリアン・リポート』はぼくらのもとにこうして届けられる。

 浅田次郎の中国史の執着ポイントはレールのポイント切り替えの軋み音で始まった。そこには暗躍する関東軍の影があった。爆薬を用意し、皇姑屯の橋を張作霖の車輌の真上に落とすべく爆弾を炸裂させ、一瞬で中国の歴史にピリオドを打とうとした侵略の足音だけが谺(こだま)したのだった。

 語り部の浅田次郎らしく、物語の一方を歯に衣着せぬストレートなリポートで綴りながら、もう一方では張作霖を乗せて運命の旅に出ようとする機関車<鋼鉄の公爵(アイアン・デューク)>によるモノローグという破天荒な切り口をトライしている。

 イギリスに生まれ、かつて西太后を乗せたきり、ずっと眠らされていた覇者の乗物により張作霖は北京から奉天へ引き揚げる死出の旅に出るのだった。

 満州事変に関しては詳細の書かれた小説や歴史書が数あるように思うが、私の記憶の限りでは、船戸与一の『満州国演義』、五味川純平『戦争と人間』においても満州事変に相当のページ数を費やしているのに、軍部の謀議主導者たちの動きを解明する方に主眼を置き、爆殺された張作霖についてはさほどの記述がない。

 『中原の虹』がなければ、張作霖の人となりはここまで明らかにならなかっただろうし、それを物語として活き活きとして読めることはなかっただろうし、その結末を張作霖を初めとした被害者の側から検証される様子が平易な言葉で日本の現代の庶民の手に渡ることも、『マンチュリアン・リポート』がなければあり得なかっただろう。

 歴史を見つめることと物語の世界に翔くこととの間に境目はない。体感するかのごとき視野で持ってもう一度人間の五感の部分で見つめなおせばいい。そう伝えているかのような優雅な筆致がなんとも嬉しく、心に沁みてくる一冊である。

(2011.01.22)
最終更新:2011年01月22日 20:05