小暮写眞館





題名:小暮写眞館
作者:宮部みゆき
発行:講談社 2010.05.15 初版
価格:\1,900



 宮部みゆきはいろいろなジャンルの本を書くとは思ったけれど、これは完全な新機軸。もともとどんなジャンルであれ、人の心のふれあい、優しさといったものを描くと、うまみを発揮するタイプなのだが、これは作家のお姉さん的人柄なのだろう。

 一度、推理作家クラブの**周年記念パーティで紹介していただき、挨拶だけしたことがあるが、とても小さくて、笑顔の可愛い人だった。この小説に出てくる垣本順子という忘れ難いキャラクターの女性とは正反対みたいな人なので、ああいう女性がこういう女性を創作することができるのか、と考えると、小説の力というのは、本当に凄いものだと感心する。

 さらに人の心のきずなを描くのも得意であれば、時には厳しい現実にも眼をそむけずに、その反対の壁、憎しみ、抵抗などといったものを描くのも当然ながら上手であり、それは時に殺人事件といった方面のジャンルで、独特の味を出してゆくのである。

 作家は、優しさと冷たさの両極端を往還する巨大な振り子でなくては成立しない職業なのかもしれない。

 この本は、高校生男子の一年生から三年生までの物語なので、ぼくはちょうど高校生活の中間点に差し掛かっている息子に、この本を読んでもらおうと思う。

 夏休みの課題図書として、息子は、新潮文庫とどこかの出版社の夏休み推薦図書目録を持っていた。先生から終業式に配られたそうだ。出版社もこういう学校営業をやっているのでしょうか。

 その目録には入っていないけれど、この作品はきっと息子と同じ目線で、同じ高校生活を送る友達のような存在として、ピカッと光ってくれるんじゃないかと思う。写真のストロボのように光って、心の印画紙(ネガ)にずっと映りこんでくれたらいいなと思う。

 四つの章に分かれていて、それぞれは写真が物語の材料にはなってくる。最後の最後のシーンまで写真が、いろいろな感情を引き寄せてくれる。本自体は泣きそうな感動以上、慟哭未満ってところの情感である。ただ、この年齢の物語、家族とともに過ごす三年間というのは、良かれ悪しかれ個人の追憶にまで響いてくるものだから、悲しみも懐かしさも、それぞれの個々の抽斗次第で違うのだろうな、と思う。

 ぼくの場合、主人公と同様に、小さい弟の思い出、さらに主人公は妹を亡くしているのだが、ぼくはその弟自体を亡くしているので、やっぱりいろいろな抽斗から様々な想念が溢れ出てくるときに、ちょっとやばい。

 家族の想い出を胸にこの本を読むのが自然の姿だと思うので、こんな単身赴任生活の中で、独り寂しく、家族と離れた町の小さな部屋でこれを読んでいるのはそれなりに辛かった。

 来週、妻子がやってくるので、この本を息子に是非渡そう。夏休みの思い出になってくれればいいな。

 それにしても写真はデジタルの時代になってしまったけれど、この物語のようにプリントアウトされた写真を手に取って人と会話を交わしたり、隠して大切にしたりして何かを思う、ということはやはり大切であるように思える。写真が人と人との間にやりとりされる一つの心の鉄道駅のような形で、この物語とともに心の片隅に記憶されればいい、と思う。

(2010/08/03)
最終更新:2010年12月13日 01:21