鈴蘭




題名:鈴蘭
作者:東 直己
発行:角川春樹事務所 2010.6.8 初版
価格:\1,900

 「札幌での題材がなくなって書けなくなったんだよ」

 ある時期、東直己がワイドショーのゲストコメンテーターばかりやって、ちっとも新作を出さなかった時期に、いきつけの酒場のマスターは、ぼくの「東直己本出さないねえ」という問いかけに対し、そう答えた。東直己がサイトにコラムを書いている寿郎社の社員とカウンターに隣り合わせたのもその頃。マスターに新作を提供するのだが、駄目だよ、金払って買ってもらわなきゃ、って思っていたのは、ぼくの頭の中の声。好きな作家のためには本は買わなきゃ。

 その後、無事、ばりばりに復帰した東直己は年間に何作もシリーズ新作をかっ飛ばすようになった。寿郎社でのコラムもやめたし、TV出演もなくなり、作家らしい生活リズムを刻み始めたように思えた。

 畝原シリーズは、私立探偵一家のホームドラマ的要素も非常に強いのだが、本書はそういう畝原にお似合いの、家族を作れなかった二人のおっさんが興味深い存在としてフォーカスされる。

 一人は、定山渓に向う国道を外れ山に入ったところで、小動物公園、キャンプ場、家庭農場、工芸教室、レストラン、ライダーズハウスなどを総合的に纏めたようなファミリー・パークを運営する80歳過ぎの老人である。徐々にその正体は明らかになるし、これからも本書だけではないレギュラー・キャラになりそうな深みを持っていて興味深い。多くの旅人やライダーに慕われて、擬似家族を形成する幸福な状態にありながら、若い人ばかりなので、畝原が来ると、大人同士で呑みたいと、自室に招きたがる。

 もう一人は、そのパークから一山越えたところで、ゴミ屋敷を形成する変わり者のオヤジである。こちらは札幌清田区の山中で実際に連日報道された困ったちゃんオヤジをモデルにしたものだろう。規模的にも本州のゴミ屋敷と違い、国土や私有地を侵してまで広大な山林内、山道に壁となって進出するものだから最終的な撤去に億の金が動くので、市民はなぜそんなことのために税金を使わねばならないのか、とわが家族を初めとして壮大なブーイングが起こった報道として、札幌市では名高い捕り物であった。家族は持たない偏屈爺であるが、少し前に一年間くらい女性と二人で夫婦のような生活をしていたとの目撃談があり、畝原は彼女の行方調査に入ってゆく。

 そんな二人の境遇の違う高齢者を追うのが、本書における畝原探偵の主たる業務だ。ゴミの山に同居していた女性に加え、行方不明になった高校教師の捜査、と畝原はけっこう忙しい。

 さらにこれらを繋いで浮き彫りとなってくるのが、ホームレスを収容しては生活保護を申請し、保護費を抑え余剰分を利益として儲けようと言う趣旨の貧民宿なのだが、良心的にボランティアのように経営されている宿もあれば、それとは対極の場所に、反社会的集団がしのぎのために経営している悪辣な宿の存在が、実際にあるものかどうかは不明だが、本書では闇の存在として描かれている。

 一冊のなかに、多くの北海道的、あるいは全国的規模の、その実、とても経済的な題材が多く扱われている。東直己がこれほど社会参加意識の高い作家だとは、デビュー作あたりでは、多くの読者が全然想像もできなかったに違いない。

 ラストシーンは、畝原シリーズらしく、ちょっとばかり心を抉るところがあってずしりとくる。タイトルの鈴蘭の由縁は、そこまで辿り着かないと、完全には理解できない構造となっている。フリージアに続く花の名のタイトルは、読後にイメージとして残りやすい。

 鈴蘭は、とても毒性の強い野草で、ギョウジャニンニク(=アイヌネギ)と、葉の形がよく似ている。

 本書ではアイヌネギをジンギスカンに投入して食べるシーンが出てくるが、これは本当に美味しい。

 でもアイヌネギは、ニンニクよりもずっと匂いが強いので、翌日の予定を考えながら食べなきゃならない野草である。それに、雪解けの頃にしか、これは獲れない。年中食すために、道民の多くは収穫したアイヌネギを醤油漬けにして保存する。土産物屋などでは瓶詰めにしてどこでも売られているが、こいつの汁は万能で素晴らしい。

(2010.07.13)
最終更新:2010年07月13日 23:06