沈黙の森




題名:沈黙の森
作者:馳 星周
発行:徳間書店 2009.10.31 初版
価格:\1,900

 馳星周は、ノワールの作家なのだけれど、mixiでは、犬の散歩風景を写真に撮って公開していたりする。彼の犬への愛情は、昔からどうもとっても強くて、FADV時代後期のチャットなどでも、犬への愛を語り始めると、止まらなくなった。毎日夕方になると当時は代々木公園へ犬を散歩に連れ出すのが日課であり、そのことが至上の歓びであるみたいだった。もっともその頃の彼は、本の雑誌の坂東齢人であり、ノワール作家ではなかったので、犬に思い切り優しい笑顔を向けても誰も文句は言わなかったのだ。

 その後ノワール作家となった彼は、軽井沢に引っ越したのか別荘を建てたのか知らないけれど、主として犬だけに人目に隠れて優しい、パパのような笑みを向けているのに違いない。

 もともと彼が影響を受けた作家の一人であるアンドリュー・ヴァクスは、そのシリーズ探偵バークが、パンジィという、大きく凶暴なイタリアン・マスチフを飼っており、そのあたりも感性的にフィットしたんじゃないかと思われる。もちろんバークはパンジイを相棒としてだけじゃなく殺し屋のように飼っていたのだ。坂東齢人が言うにはバークは怖がりのへなちょこだからあんなに備えておくんだ、とのこと。そして自分もまたへなちょこだからわかるんだよ、と付け加えてくれた。馳星周の犬もまた殺し屋のように飼われているのかも知れないので、要ご注意!

 さて、そんな、犬への思いが溢れる、軽井沢の森の風景を、とにかく馳星周のmixiの写真ではよく見る。なので、獰猛な犬を連れた独り暮らしの主人公が軽井沢で別荘の管理人をやっているという本書の設定には、なるほどと肯いてしまうのだ。

 但し、その主人公はへなちょこどころではなく、元、殺しの得意なヤクザだった。その上、ある組から五億円を奪って逃走した若い者が軽井沢に潜んでいるという、トラブルの起こりそうな気配となってゆく。

 以上の設定については、馳という緻密な作家にしては安直な設定の部類なのだが、よしんばそうであっても、その設定によって750枚の原稿を活劇で埋め尽くしてしまったのがこの一冊なのである。B級香港映画が好きだという馳の一面が、思い切り発散されたバイオレンス・アクション小説だと言っていい。

 かつての体言止め文体は本書では伺えず、今では、平易な文体で、しっかりした文章を書くので、呼吸をしているかのような軽井沢の森の描写は、趣味の写真に劣らず、熟達の域に達しているかに見えた。

 でも、待てよ、読むうちに主人公の田口が、知っているあるキャラクターに同化してゆくではないか。

 そのキャラクターとは、東直己のシリーズ主人公の一人である榊原である。榊原は、山中でアイヌ彫りを生業にしている孤独な男だが、ひとたびギャングたちに愛する女性が拉致されたりすると、鬼と化して、街に下りてくる。誰も彼の殺意を止められない。その大暴れっぷりが、女性が連れ去られる度に巻き起こるという、毎度の設定なので、本書もそっくりなところがあるのだ。東直己からクレームが来ないものかと心配になる。それでも同じ女性を何度も何度も監禁されたりする、これまたクレームになるんじゃないかと心配ししまう。

(榊原のシリーズ作品は、『フリージア』『残光』『疾走』の三作、前の二つが押オススメで、三作目は読まなくてもよいかも)

 東直己と違うのは、馳星周のほうが、やりつくす、と言うのかな。彼のワープロ辞書は、「やる」と入力すると「殺る」とか「姦る」に優先的に変換される、などというチャット時代の逸話を思い出してしまった。なので、本書でも、拉致された女性は無事では済まず、誰も彼もが殺ったり姦られたりするのである。そんな物騒な物語だからこそ、軽井沢に別荘を建てて引っ越そうと思う(あるいは既に建てて老後の平和に思いを馳せている)知人・友人には、是非、この物騒な軽井沢読本を呼んでもらいたいと思っている。

 物騒な別荘、な~んちゃって。

(2010.07.13)
最終更新:2010年07月13日 23:02