1Q84 BOOK 3


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題名:1Q84 BOOK 3
作者:村上春樹
発行:新潮社 2010.4.16 初版 2010.4.30 3刷
価格:\1,900

 ぼくは村上春樹読者である。エッセイやなにやらもけっこう読むがそちらは穴があるとして小説は全部読む。翻訳も基本的に読まないが、小説は全部読んでいるということで、その物量の歴史から言って、村上春樹読者と自称しても構うまい。

 ちなみに花村萬月や船戸与一だと、ぼくは読者と言わずにファンと自称していることに気づく。花村萬月ファンであり、船戸与一ファンであり、桜庭一樹ファンである。でも大沢在昌読者であり、湊かなえ読者であり、村上春樹読者である、と言う。微妙に、違う。作者の人間像を好きになり切れずにいて、その作品だけは拘って読んでいるということだと思う。

特に村上春樹という人も主人公たちもあまり気に入って読んだことはない。文章に惚れ、その表現力に惚れているんだと思う。

 ちなみに矢作俊彦の場合は、ぼくは矢作俊彦マニアであり、ジム・トンプスン・マニアである。微妙に異なる。村上春樹もぜひマニアと呼ばれるまで出世して欲しいものだけれど、『シドニー!』みたいな五輪取材を読むと、小説とは対極的な健康志向、ジョギング・マニア、グルメ嗜好などなど、そのあまりな健全ぶりが鼻につくのだ。ぼくはこの作家を、人としてはともかく、作家としては決して好きになれないに違いない。「人としてはともかく、作家としては」だなんて、最後まで微妙な書き方をしています。

 さてそんな自称村上春樹読者が、TV画面で『1Q84 BOOK 3』の出版を知るというのはどうだろうか、と思う。それまで全然新刊情報に引っかからなかったのか、こちらが忙しかったのか知らない。『1Q84』に続編がないものと決めてかかっていたぼくは呆気に取られた。続編が出版されたという事実にも、それらが書店の店頭に並んだ途端、瞬く間に買い漁られ、BOOK1&2のときと同様に品切れ状態が恒常的に続いているという事実も。

 おかげで10日以上毎日通ってやっと『BOOK3』を手に入れた。既に3刷目と版を重ねていた。村上春樹は一体どのくらい税金を収めるのだろうか、なんてことも気になった。

いずれにせよ、『1Q84』に続編があるだなんて全然知らなかった。あれだけのクライマックスを用意して『BOOK2』は閉じたのである。、青豆はてっきり★★★★となったと思っていたのに、まだ青豆は☆☆☆☆であったから、なんと小説は継続してしまうのではないか。言い訳のように、青豆は心変わりして予想された行動を取らず、生活を継続していた。そんなことも村上春樹はやるのか。思わず彼の収める税金のことが頭を掠めた。一冊続編を出すたびに出版業界に巨大な経済効果を生み出すのだとすると、青豆が心変わりをすることになったって、何となくやむを得ないという気がしてきた。

 もう少し書き足すと、『BOOK3』が品切れの間、大型書店は大きな『1Q84』コーナーを設けながらそこで『BOOK1』『BOOK2』を売り捌いている。そしてこれがまた売れるらしく、『BOOK1』あたりまでがベストセラーのランキングに登場しているという、奇妙な社会現象が起きている。去年のブームに乗り損ねた人たちが、再来した『BOOK3』による『1Q84』に乗じて、最初から読むと志すからだと思われる。凄いなあ、まるで出版界のワールドカップ王者だ。

 さて『BOOK3』だが、村上文章への取り組み方が真剣に過ぎるのか、随分と時間をかけてしまった。本の厚さが理由なのではないと思う。この物語の質量により、疲労してしまい、立て続けに読むことができず疲労してしまうのだ。かと言って面白くないのではなく、すっごく面白いのである。

 教団に雇われた牛河は、青豆のアパートに部屋を借り、アパートに出入りする人々を見張る。青豆は、公園の見えるアパートの窓からずっと天吾の出現を待ち続ける。天吾は青豆を探して彷徨を続ける。

 天吾と青豆には特別不思議な現象が起こる。天吾と夢の中でのできごとのように一度だけの性交を試みたふかえりがいなくなる。青豆はドウタを身ごもる。天吾は父を看取る。様々な幻影を見る。幻影は1Q84の世界にも這い出してくる。月が二つある世界に。NHK受信料の集金人であった父も幻影のように彷徨い、次々と戸を叩く。

 徐々に逸脱も激しくなってくるし、メタファーでは足りないくらいのイメージが強く深く、天吾と青豆の時間を浸してゆく。この世界は何なのか? に対する野暮な説明はもちろん一切ない。ただこの異常な世界の意味するものは何なのか? と天吾・青豆・牛河は問いかける。もちろん回答ではなく問いかけにこそ、この世界の意味が潜んでいるかのように。

 村上春樹は、本を書く時にオリジナルなもの、誰も書いていないものを書くことを意図しているようである。どこかのインタビューにそう掲載されていた。なぜ自分は唯一なのに人の物語を真似て書かねばならないのか、彼にはわからない。誰も書かないことを書いていることが、人に読まれる理由ではないのか、と純然と思うらしい。

 人に読まれるというのはいくつもの偶然性の重なりによるところが大きいと思うが、この作家の場合、奇天烈な物語の内容と、それに反するかのように理路整然とした平易な言語による文章化技術、が出会い、溶け合うからではないかと思う。本書では三人の様々な孤独が紆余曲折を経て、濃厚でクリーミーでスープみたいに一つの世界に溶け合ってゆく様がとにかく丹念に描かれてゆく。力の抜けるところがない。それゆえに読む側が疲弊する。物語がどうやって生み出されるのかは知らないが、魔法の文章は、そもそも当たり前のことしか語っていないぞ、とでも言うように、奇妙なできごとを普通の言葉で描いてゆくのだ。

 本書は、題材はカルトと叛カルトの闘いの地平に生きる、二人の男女の運命的出会いとその後の関わりを描いた物語である。隠密裏に日常生活の闇に蠢くプロフェッショナルたちの存在は常に背後から忍び寄る死の代名詞であり、それらと関わりを強く持った青豆、本書より関わりを強めてきた牛河、ふかえりの代筆者であった天吾、といずれカルト/叛カルトに関わる主人公たちの引き裂かれるような運命と、そのなかでも変わらぬ永劫の何ものかとを常に対比させ描いているように見える。

 世界の不安定感と、無常なる永劫。

 先述したインタビューによれば、次作を書くかどうかはまだ作者は考えていないという。本書は1Q84年12月で終っているから、続編があるとすれば最早『1Q84』というタイトルは過去のものとなるはずだ。『1Q85 BOOK1』が登場するのかどうか。誰もが最後には興味を抱き、そう問いかけたに違いない。答はまだない。まるで1Q84とは何なのか? という問いかけに対する答のように、それは用意されていない。

 また朝のニュースで唐突に続編の登場を知らされることになるのかもしれない。毎日の書店通いの末に、3度目の重版になるくらいの作品を手に入れることになるのかもしれない。

やれやれ。

(2010.07.13)