ナイチンゲールの沈黙





題名:ナイチンゲールの沈黙 上/下
作者:海堂 尊
発行:宝島社文庫 2008.09.19 初刷 2006.10初版
価格:各\476

 海堂尊の作品は、どの作品も同じ世界の出来事として、キャラクターと時代を共有している。さらにその中で、度々主張される作家的見解(医師的見解)も執拗に表現されるため、医師がペンを取った理由はかなり明確なものとして世界に伝えられていると思う。小説のみならず、エッセイその他のノンフィクションにおいても、メディアにおいても作家(=医師)は、同じ主張を繰り返す。

 放射線科教授・島津が解剖に代わる法医学の手法として死後MRIを選択する方向を示すのは『螺鈿迷宮』で主体的に取り上げられるテーマだが、これも作家的(医師的)モチーフの重要な一つである。本書ではMRIを通して看護師・小夜の美しい歌声を聴いた子供がママの顔を思い浮かべ、不思議な現象を投影するシーンが描かれる。

 そのシーンばかりではなく、本書のテーマは歌である。死を待つばかりになった、かつての歌い手・水落冴子が入院患者として最上階の特別病室に君臨するのもまるで音楽の神ミューズの使いのようである。

 一方で、患者家族の残忍な死が、ミステリーのネタ、謎解きの材料として提供され、そこに関わる子供たちの心情、看護師たちの狂騒と、暗いテーマを音楽的で美しいイメージで装飾し包み込もうとする作者の造形の心が見えてくる。

 一作目『チーム・バチスタの栄光』では愚痴外来を中心にミステリー的要素を多く持つ娯楽小説が、新鮮でなおかつそのテンポとリズムとの魅力で、海堂尊は、日本中を唸らせた。二作目の本書では、まだミステリへのこだわりは見せるものの、物語の語り部としての才能をむしろ開花させている気がする。暗く救いのない現実を、美しいソプラノで包み込み、美しい感性として昇華させる、作家の技である。

 もちろんその後の作品でも、海堂尊はいくつもの美しい描写、個性的なキャラクター、人間同士の距離と駆け引きの妙、そこに生まれるドラマ……といったものを次々と作り出してゆく。

 二作目として書かれた本書の意味は、言わば作家的地平、スケール感といったものを大きく広げ、後のこの作家の安定した創作ぶりを予告する重要な役割を果たしたものという気がする。

 その後も各作品において、活躍を余儀なくされる、ナースという存在。医師ばかりではなく、患者を、そして医療の現場全体を支えるナースという極めつけにタフな天使の存在を、奇麗ごとばかりではなく、罪のサイドに追いやってなお、その強さと一途さと人間愛の深さとで、情緒たっぷりに描いてゆくこの作家の技には、まだまだ目を離すことができないものがあるように思うのだ。

(2010/05/05)
最終更新:2010年05月09日 21:42