スペード&アーチャー探偵事務所




題名:スペード&アーチャー探偵事務所
原題:Spade and Archer (2009)
作者:ジョー・ゴアズ Joa Gores
訳者:木村二郎
発行:早川書房 2009.12.15 初版
価格:\2,000

 ハードボイルド・ファンなら、誰しも、この本が十年に一度あるかないかの重要な話題の対象となることを理解するに違いない。

何しろハードボイルドの創始者であるダシール・ハメット、その代表作である『マルタの鷹』の前日譚というふれ込み、ハードボイルドの代名詞として今も生きるサム・スペードという名の、あまりにも有名な私立探偵とその時代に反映されるほどの存在感、さらに現在彼を甦らせる作家が、ジョー・ゴアズ、と、これ以上ないほどに出揃い尽くしたネタの宝庫。これらを前にして、ハードボイルド・ファンが手を拱いて静観しているだけのわけがない。

 ゴアズは、その作品『ハメット』のなかで、ハメットがピンカートン探偵社に働いていた時代のエピソードを探偵小説として作り上げている。フランシス・フォード・コッポラ製作、ビム・ヴェンダース監督、フレデリック・フォレスト主演で映画化された話題作でもあった。

 ましてや、ゴアズ自身、探偵社での勤務経験を生かしたハードボイルド作家であることから、ハメットとの共通点がしばしば取り上げられる。ゴアズのDKAシリーズは、ハメットによく似た文体で書かれた、実際の経験に基づくリアルな探偵小説として知られている。シリーズは、今も書き継がれているが、未邦訳の作品がまだまだ多いのが残念だ。

 さて本書は前日譚と言いながらも、独立した事件を三つの中編小説のように綴りながら、なおかつ三編に共通する仇敵を、スペード持ち前の負けん気の強さで追い詰めるまでの一貫した一つのストーリーとしても成立している。

 それらの事件ファイルを通じて、スペードを取り巻く人間模様をゴアズは、より精緻に描いてみせる。

 エフィ・ペリンが初めて秘書になったときの様子、ダンディ警部補との事前の罵り合い、アーチャーと共同経営に至るまでのいきさつ、アイヴァ・アーチャーとの奇妙な関係、シド・ワイズ弁護士とのそもそもの馴れ初め、などなど、無論賛否はあろうが、『マルタの鷹』一作で書かれていないスペードを取り巻く環境を、ゴアズはその想像力で補強してみせたことになる。

 しかもス、トーリーは期待通りに絡まり合った単純ならざる人間絵図を基盤とし、1920年代のサンフランシスコという、今いる地点からみると、相当に遠い時代・場所を活写してみせてくれる。言わばハードボイルドの神髄と風格とを、現代に追体験させてくれるのだ。

 すべての事件が解決したとき、お馴染みのシーンでこの本は幕を閉じる。エフィが来客を告げ、スペードが誰かと尋ねる。エフィが応える。どの道会ってみたくなるわよ、ワンダリーと名乗るその女はとびきりの別嬪さんだから。通してくれ、とスペードが答える。『マルタの鷹』の1ページ目だ。

 勿論、細部を照合するために、ぼくは続けて『マルタ』本編を一気に読み始める。3度目の『マルタ……』だ。この、最初は難物であった作品が、不思議なことに、以前よりもずっと読みやすくなっていることに我ながら驚かされる。ゴアズによってスペードを取り巻く世界への理解が、予め準備されていたことによる影響に違いない。

 ハメットの素晴らしさを改めて知るための重要な補填資料としても、完全に独立したゴアズ作品単品として捉えても、いずれ優れた、渾身の一作であることに間違いない。できればもう一度『マルタの鷹』を手に取られ、連続して読まれることをお勧めしたい。

(2010.05.08)