神の足跡





題名:神の足跡 上/下
原題:The Footprints of Good (2003)
作者:グレッグ・アイルズ Greg Iles
訳者:雨沢 泰
発行:講談社文庫 2006.07.14 初刷
価格:各\895

 かつて@niftyで冒険小説&ハードボイルドフォーラムを運営していた頃、その電脳世界に手錬のメンバーが山ほどいて、真夜中のチャットも大いににぎわっていた頃、この本の作者グレッグ・アイルズは、作品を出すたびに話題の中心になったものだった。

 『甦る帝国』『ブラック・クロス』『神の狩人』三作は中でも読んだ人が多く、その書評はどれも絶賛に近いものであり、それに誘発され読者は増え、アイルズ熱気とでもいうようなものが一時代を席捲したものである。

 そのアイルズと言えども、もともとが日本では主流ではない。ハードカバーの作品はどこにもなく、すべて文庫にて発表されているものばかりだ。

 しかしその内容、スケール、テーマ、迫力において右に出る者のない作家であることは間違いない。一つ難点といえば、どれもが重過ぎるという点だろうか。すべてどの作品をとっても、重厚な作品なのである。

密度が濃く、肩の力を抜いて読める作品とは到底言えないのがこの作家の特徴なのである。そういう意味でイージー・リーディーング流行りのこの国では、大量の出版というまでには取り扱われることのない作家なのだろうと思う。もちろん同じ憂き目に合っている世界レベルの作家は、他にもたくさん思い当たるのだけれども。

 さてそのスケール、重厚、密度、緊張度、それらの点で、もしかしたらアイルズの近年の代表的な一冊になるかもしれないのが本書である。肩の力を抜くどころか、大変に疲労する作品であるかもしれない。まず一気読み間違い無しの面白さ、緊張感、その夢中度ゆえに極度の疲労を味わうかもしれない、という意味においてである。

 本書で扱われるのは究極の人工知能トリニティ(三位一体)。開発中に巻き起こる研究者たちの謎の死に端を発し、逃走する学者を主人公において、追跡側には非情の女殺し屋というサスペンス。

 さらに映画『2001年宇宙の旅』の時空移動のシーンを思わせる幻覚を、主人公が見ることにより、ビッグバンの目撃、キリストの殉教体験など、サイケデリックとも言える幻想小説的一面から、さらに引き出されるコンピュータとの哲学的な問答に至るクライマックスと、地球規模のスケールで、発射された20機のミサイルの自爆を阻止しようとする緊迫感が描かれてゆく。

 そんな大風呂敷のようなストーリーの中で、人工知能が人間の脳をスキャンし、情報を読み取り、仮想人格を持つという下り、また世界中のネットワークと接続し情報を閲覧し成長してゆくという、いわばAIの成長と畸形化に対する恐怖が、全編を通してやまないところもこの作品に通底する恐怖感の由縁であろう。スタッフは果たして人に殺されたのか、それともAIに殺されたのかという可能性の恐怖。こうしたすべてに答えを与えるのが先述した問答のシーンである。

 基本的な冒険小説の構造と、しっかりしたプロットや仕掛け、あっと言わせるどんでん返しにより、しっかりと収束してゆくラストシーン。また物語を通して充実してゆく恋愛のサブ・ストーリー。あのフォーラムが今もあれば、アイルズのこの大作は、きっと大きな話題の花を咲かせていたことだろう。

(2010.05.06)
最終更新:2010年05月09日 21:27