私の庭 北海無頼篇




題名:私の庭 北海無頼篇
作者:花村萬月
発行:光文社 2009.09.25 初版
価格:\2,700

 『王国記』もそうなのだが、花村萬月作品の最近の傾向は、物語が進むにつれどんどん現実離れして神話化してゆくように変化してゆくように見える。娯楽要素の強い戦後のヤクザ小説である(と言い切るのも失礼な気がするが)『ワルツ』なども、戦後の雑踏という地面からの目線で書かれた小説としてスタートする中で、徐々に主人公が超人となってゆき、とても透き通った純な存在として生死を超越してゆく様が描かれていたような気がする。

 この『私の庭』では暴力の象徴としての刃を手にした名もなき浅草の浮浪児が、人を斬り、強くなってゆく中で徐々にその野生を研ぎ澄まして、ついには津軽海峡を渡り、蝦夷地に辿り着くや否や、アイヌの生活に身を任せ、漂白と言ってもいいような人生を辿り行く。

 まさに超人のように自然と一体化し、哲学を言葉ではない方法で表現する。この世のすべてを悟ったかのように自然界のあらゆる生や死と真っ向対峙し、人間や獣との距離感を自在に操っているかに見える。奔放な性と暴力を漲らせる醜塊な大男である権介が、徐々に美しい北の自然の中で透明になってゆく。純粋に、より純粋に。

 一方では丸茂一家を統べる茂吉(実在の博徒をモデルにしているらしいが、物語では権助に惚れ抜いた弟分である)の人生は、純粋な自然天然の道理とは別の人間界を代表するもろもろのよしなしごととの関わりの中でただただ誠実なその性格が、強さや意志力を齎し、多くの子分衆に慕われるようになる。その子分衆のまた多彩なこと。どの顔ぶれも活き活きとして、そして時代の中で悩み抜く者や、虚無の気配に身を清ませる者など、実に魅力的な存在者たちである。

 そうした二つの時空が前巻の蝦夷地篇からずっと並行に進んできたのだが、徐々に蝦夷地の原住民を支配する倭人の勢力が強まり、蝦夷地開拓が進む中で、時代の流れは多くの純粋な神話的世界を蹂躙にかかろうとする。

 二つの異なる時空はやがて交差し、すべては極大の暴力たる刃の中で血に切り分けられて閉じてゆく。凄惨な暴力描写は他の作家を寄せつけぬ迫力を見せながら、その向うに個である人間たちの、存在を賭した葛藤と定めのようなものが互いに切り結んでゆく様はある意味、絶景である。

 性と暴力の文学と呼んで来た花村ワールドの最近は、超人小説とでも言いたくなるようなニーチェ的な世界の果てが見え隠れしている。荘厳な神話のような作品が、美しい蝦夷の自然を背景に完結する。大作がまた一つ眼に見えぬ記念碑のように、我が心に消えることなき彫り物を残す。罪深き傑作である。

(2010/04/04)
最終更新:2010年04月04日 23:26