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無理




題名:無理
作者:奥田英朗
発行:文藝春秋 2009.09.30 初版
価格:\1,900

 奥田英朗は『最悪』でインパクトを残したものの、続く『邪魔』で見切りをつけられた。しかし頭のいいこの作家は『邪魔』の失敗に自らも見切りをつけ、がらりと路線を変えた精神科医・伊良部シリーズによって、いきなり一般大衆受けするヒット作の連発という道を選んだ。

それ以来、文芸商品という意味においてはエンジンがかかったこの作家、出版界も読者もそれでいいのかい? というぼくのような読者の疑問をそのままに、勝手に売れ筋路線であるシリーズにこだわり、それが映像化され、万人受けする価値あるものだとして、当時あの傑作『最悪』を書いた作家であることなど、どこかに置き忘れたかのようにして、機関車は忠実にレールの上を走り出したのだった。

 そこに罪悪感がないわけがない。ぼくのように捨て置かれた『最悪』の読者をどうするのか。作者にその無視の責任はないのか? そんな無言の圧力をかけているつもり。通じるどうかは別として、伊良部シリーズなどは読みもせず、評価もせず、こちらもシカトしていた。

 もちろんぼくは文芸評論家というようなオエライ存在ではないので、そのような地下活動に与する影響力のある人々がぼくらのような読者の存在に気づく、または代弁してくれれば有難い、またはもう奥田英朗なんかどうでもいいというぼくらのような読者の感覚をどのようにかして、作者に伝えてくれたのか、作者の側の中に、ぼくらのような読者の存在がどこか忘れ去られずに生き残り続けてくれていたのかもしれない。

 いずれにせよ、奇跡は起こった。作者は『最悪』の頃の奥田に立ち戻って、本来ぼくのような一部の読者に求められていた何者かを再現してくれたのである。

その意味では、この『無理』は『最悪』後、作家がその後遠回りしながらも身に着けた創作力の現在をここに古いお客様方に改めて感謝の意を表して披露したい、その上での力作なのだ、という位置づけなのかもしれない。『最悪』で見せた、悲劇とも喜劇ともつかない奇妙な運命のサイコロが、ある一つの時間、ある一つの地点に向けて集結してゆくプロットの面白さを、さらに念入りに描いたところの、これは本来の奥田節を用いた自信作なのではないだろうか。

 『最悪』から連想されるのは、ぼくの中では映画『鮫肌男と桃尻女』であり、『パルプ・フィクション』だ。Bクラスの登場人物たち。誰もが主役になり切れないオフビートの語りの乗りもまさにそのまま。

 そしてこの『無理』が連想させるものは、その後に評価された映画、『クラッシュ』を思わせる。あるいは『バベル』。最近、外国映画でも『クラッシュ』や『バベル』のような、モジュール型の構成が目立つようになってきている。先駆けはタランティーノ『パルプ・フィクション』としても、小説で言えば連作短編集をもっと自由構成に置き換えたようにして、より偶然の出会い、関連性、一致点に集約する運命性を語ることによって、一つ一つではさして面白いとは思えない物語に一種の付加価値をもたらしてしまうものだ。

 『無理』は、五人のわけありの男女がそれぞれの独自なストーリーを走らせ続ける物語なのだが、次第にそれぞれの物語が接触をし始める行程がやはり何とも面白い。最後に一つの時間一つの場所に全員が揃って出くわしてしまうのも、『最悪』の基本コンセプトを受け継ぐものであり、上に上げた映画群が持つ魅力に共通する何かである。奥田英朗という作家の本来もたらした価値はここにあり、と言わんばかりの面目躍如の作品かもしれない。売上実績とこの話とは比例しないと、言われてしまえばそれまでなのだが。

 ちなみにぼくは伊良部シリーズは『空中ブランコ』一冊だけで見放した口。連作短編集という作り、古臭いコメディを見ているような、型に嵌った動きと非現実性、それらを見るからにいかにもマンガ家にでも原案を提供して『ビッグコミック・オリジナル』にでも掲載した方がよさそうな程度に思える低次元性。ひどい言い草かもしれないが、最初からその手の作家だという意識で見ている作家ではないからこそ、どうしても止められない言葉なのだ、ということはご理解頂きたい。

(2010/02/14)