ラストラン




題名:ラストラン
作者:志水辰夫
発行:徳間書店 2009.03.31 初版
価格:\1,600

 これは短篇集である。しかも久々のシミタツ節が唸る1989~92年前後に書かれた作品集である。

 ちょうど『深夜ふたたび』や『行きずりの街』の頃だから、この作家の偉業とも言える初期三部作(『餓えて狼』『裂けて海峡』『背いて故郷』)を成し遂げ、ある意味作家が書き慣れ、次に何を書くかという最も難しい時期、それは熟成期とも言われつつ非常に危うい一時期であるようにも思われるのだが、そうした時期、彼はこの本にある作品たちを集約した短編集にせず、自らお蔵入りとし、これまで封印してきたそうである。

 作家は帯でこう言う。

「いまの自分がうしなってしまったもの、若さや情熱、ほとばしる情感や熱気が全編に立ち込めていて、老いの淋しさを逆に確認させられもした」

 どの作家にも共通した思いのようなものがあるのかもしれない。あらゆる人間があらゆる自分の仕事に対し思うことであるのかもしれない。その無常観が作品や仕事に深みを与えてゆくと見ることはできるのだが、やはり喪失の感覚というのは、若き頃に予感していて、その予感が青春に影を落とし、ストレートに若さを喜びきれないというのも、人間らしさであるような気がする。

 だから人は、若書きと評されようと、若き頃は果敢に書き、やがて、失われた時間を惜しんで、深く熟成した内省的な言葉を紡ぐようになるのだろう。そしてある意味の割り切りと、職人的な無我の境地。そんなものに辿り着いた時、かつての読者が彼をどう読むのかというあたりが、作家としての持続性の秘密であるような気がする。

 確かに、本書を読むと、あの頃のシミタツ、あの頃悶えるように読んでいた情念の作家志水辰夫の輝きっぷりの一片がそこかしこに輝きを見せる。そんな時代に読者である自分がどうであったか、というところまで突き刺さってくるのが、こうした古い作品集のある意味凄みであると言えるのかもしれない。

 しかし表題の『ラストラン』という作品はない。であれば、どういう意味なのだろうと、何度も考えてしまう。シミタツのラストランというには、まだ早いという気がするが。

(2010.1.24)
最終更新:2010年01月24日 23:23