審判




競馬シリーズ 『審判』 ディック・フランシス/フェリックス・フランシス

題名:審判
原題:Silks (2008)
著者:ディック・フランシス/フェリックス・フランシス Dick Francis & Felix Francis
訳者:北野寿美枝
発行:ハヤカワ・ノヴェルズ 2008.12.25 初版
価格:\1,900

 ディック・フランシスが一度ぺンを折った、いやさ、折りかけたのは、メアリ夫人の逝去が、ディックの心に投げかけた痛手が重すぎ大きすぎたためだろうと思われていた。それ以上に、メアリ夫人はずっとディック作品に共著とされてもおかしくないほど作品に深く関わっていたと伝えられる。

 ディックの作品には、毎作毎に異なる職業の主人公が据えられるが、その職業に応じて作品世界は彩色される。いわば競馬界とミステリ界しか知らない(おっと、飛行機の世界も精通していたっけ!:「飛越」参照)ディックという作家が、世界の様々な職業、別の舞台に小説の題材を求められるのも、メアリのリサーチによるものだったと言われる。

 画家、カメラマン、保険調査員、ネゴシエイター、運転手、映画人、鉄道マン、銀行マン……数限りない職業を描いていたディックが、ついに本書では法曹界に目を向けた。しかもメアリ夫人の手助けなしで。

 しかも驚いたことに、いやこれこそがディックという作家の誇りでもあるところなのだが、ロウヤー(法律家)にとっては法に基づく行動を取ることがいかに誇り高き行為であることなのかまでをも描き切ってしまうところである。下手なリーガル・サスペンスが書き切っていない尊厳に値する場所をまで描き切るところである。この作家、息子との共著となり、メアリ夫人を失って以降も、少しも変わらず、唸らせてゆくのである。全く!

 本書には、ディック・フランシスのピーク時そのものがそのままの姿で詰まっているように思う。理不尽な敵。執行される暴力と威嚇。脅え、そして戦おうとするが、更なる暴力に曝される罪のない犠牲者たち。法を曲げろと脅迫される主人公は、敵への攻撃に転じてゆく。暴力はまた振るわれエキサイトしてゆく空気の中で、尊厳と誇りを闘志に変えて。

 そうした人間の行動、方向、意志力といったものを軸に馬力を放ちながら、ディックの作品はトラックを走り抜けてゆく。障害を飛び越える。時には落馬や転倒によって大きな深手を負うことがあるが、それでも意志力により負傷は癒える。そうして、複雑に絡み合う陰謀の構造に小説は辿り着く。そのミステリとしての要素もしっかりと小説の核になってゆく。

 ミステリとハードボイルドを兼ね備えた作品の完成度は、今も全く一歩も譲らぬ妥協のない産物として保障されており、年に一度だけ世界に向けて出荷される。職人が丹精込めて作り上げた食材のように。世界の読書グルメが、果実のように作品を頬張る。満悦の笑みがこぼれる。エクセレント!

(2009/12/13)