鏡の顔




題名:鏡の顔
作者:大沢在昌
発行:ランダムハウス講談社 2009.02.18 初版
価格:\1,600

 こうした短編集と向き合うとき、ぼくは自分とその作者との距離感についていろいろなことを考えてしまう。

 例えばぼくは大沢在昌を好きな作家だと言えるだろうか? 答:好きな作家の中に挙げることはあまりない。

 では、大沢在昌の作品をとても高く評価しているのか? 答:ほとんどを高く評価していない。たまにとても高く評価することがある。

 では、好きな作家でもなく、高く評価もしていないのに、なぜ多くの作品を読むのか? 答:まず空振りに終る作品は少なく一定レベルの面白さの提供は約束されている上、たまにはホームランもあるということからである。

 高く評価した作品は? 答:『北の狩人』『雪蛍』『心では重すぎる』『狼花』

 新宿鮫シリーズの評価は? 答:新宿鮫シリーズはあまり好きではない。でも晶の存在が薄まった頃からアダルト鮫島刑事の部分が強まり、好きになりつつある。今の鮫島は、佐久間公と同一くらいの深みを持つようになり、ひと頃の派手さは今や鮫島刑事のどこにもない。それはぼくのような読者を惹きつける要素である。

 ぼくは大沢在昌のよき読者であるのか? 答:ノー。

 さてそんな自問自答を繰り広げながら読むに値するのがこの短篇小説集『鏡の顔』なのではないか。この本を編纂したのはランダムハウス講談社編集部の宮田昭宏氏で、あとがきにおいて、村上春樹のゲイリー・フィスケットジョンの短篇編纂(ニューヨークで出版されたこの短編集は日本語版でも既に二冊が刊行されている)手法を使ったということが紹介されている。それは作家の短篇小説を独自のテーストで編み直して、新しい世界を作り出すという手法である。

 大沢在昌本人はこの短編集のリストを見て「ぼくが、人にプレゼントしたい短編集になるなあ」と言ったそうである。

 さて大沢在昌の短編集に初めて接するぼくは、お馴染みの鮫島と佐久間公の登場する短篇以外は、他のシリーズ主人公であるジョーカーや、短編集の表題として覚えのある『冬の保安官』などの浮標(ブイ)を辿って、見知らぬ海洋を漂うのである。

 前半は短め作品が並び、主に都会の酒場のシーンが連なる掌編などからは、初期大沢世界が垣間見れる気がする(ぼくは新宿鮫以降の読者なのでこの辺りにとても疎い)。しかし後半には短篇といえども重厚な味のものが目立ち始め、『ダックのルール』などは拾い物である。

 この編集者は裏表紙に『ダックのルール』の引用をつけており、そこで編集者が短篇をセレクトしたときのふたつの基準があると言っている。

 「ひとつは、主人公が、自分のルールを作って、それに忠実に生きていこうという意志を持った大人であるということです。ふたつ目は、読んでいて、あるいは読み終わってからも、気持ちのいいリズムに浸かっていられる文体があるということです。」

 『ダックのルール』からの引用文はこうである。

 「ダックが本気でいっていることは僕にもわかった。彼は、僕が今まで見てきたいかなる人間とも種類がちがう男だ。彼にとってルールはひとつしかなく、それを決めるのはダック自身である。」

 この小説集の副題は「傑作ハードボイルド小説集」とある。なるほど。

 さて少しヒントを得たのは、なぜぼくが大沢作品を読み続けるのかという疑問に対してである。それは編集者が言ったまさにふたつの理由であるようなのだ。

大沢の主人公には独自のルールで生きる人間が必ず登場する。また、大沢作品を読むとき、ぼくは気持ちのいいリズムに浸かって読み、そして読み終えることができている。とりわけ後半の部分は大きいのではなかろうか。読書という癒しを考える時、大沢在昌やロバート・B・パーカーのような作家のリズムはときに必要なのである。

(2009/12/13)
最終更新:2009年12月13日 17:32