ジーン・ワルツ





題名:ジーン・ワルツ
作者:海堂 尊
発行:新潮社 2008.03.20 初刷 2009.02.20 6刷
価格:\1,500



 不妊治療。人工授精。まさに神の領域にタッチして帰ってくるようなテーマである。不妊治療に取り組んでいるクリニックは、比率で言えば非常にレアな方である。大学病院から飛び出して独自の領域に挑むほんの一握りの医師だけが、現代日本という産科医にとって不毛な砂漠に孤独な隊商のように歩を踏み出しているのである。

 もちろん厚労省施策が、出産という領域を砂漠にしてしまったのであるが、それは直接的にというよりも、大学の医局制廃止の動きにより、地方医院病院と大学病院医局との良好な関係を崩壊させてしまったのだ。これによって十分な医師の確保ができなくなった地方病院が例え公立といえども経営不能の危機に陥っているのが、ここ数年の日本の地域医療の構図である。

 そんな構造的な政策の愚鈍と、これに追従する大学病院の権威が、患者たちを見放そうとしているなか、一人の女医が立ち上がる。その信念はどこにあるのか? 患者一人一人の出産までの個性的な経緯を絡ませながら、彼女は大学病院医局との確執に背を向けて、日々の生命とのやりとりに没頭する。

 しかしそのクリニックも現在の6人の患者が出産を無事終えるとともに後継者なきゆえの廃院を迫られている。そんな中で、女医理恵の計画は静かに読者をも煙にまきながら進行してゆく。

 ふと相似を感じたのは、帚木蓬生の『インターセックス』であった。あちらは半陰陽など生殖器の異常を取り上げたものであるが、やはり本書によく似た医療小説であり、患者一人一人との個別のやりとりがそのまま人間絵図ともなるような情趣豊かな小説である。しかも女医がそこに傾ける情熱の真相は? その辺り、両書を読んだ人は強烈な相似を感じずにはいられないと思う。

 そして患者との具体的なやりとり、彼女たちとの運命的な出会い、一つ一つの邂逅が、ただの外来医師と患者だけの関係を凌駕してゆく辺り、両作とも、まさに現代の『赤ひげ診療譚』(山本周五郎)だと言ってもいいほどに血の通った小説なのである。

 医療小説は、ただの医療ミステリーであってはならないのかもしれない。現代医療と拮抗する医師としての視点を小説というメディアによって広く伝えてゆく意思というものが、大きな魅力ともなり得る。

 ノン・シリーズであるために、いつもの白鳥シリーズのような冗長な娯楽性はないのだが、逆に引き締まった佳品となっている一冊である。

 蛇足かもしれないが、ぼくはある時期に不妊治療の分野に関連する仕事を(専門家としてではないのだが)齧ったことがあり、その当時この世界では著名な医師数人からこの領域に関わる話を聴く機会を持った。救急医療を扱った『ジェネラルルージュの凱旋』同様、自分の関わった世界に触れることの多い海堂小説郡にはいつもとりわけ愛着を感じてしまう。

(2009/06/14)
最終更新:2009年06月14日 23:39