8017列車




題名:8017列車
原題:Treno 8017 (2003)
作者:アレッサンドロ・ペリッシノット Alessandoro Perissinotto
訳者:菅谷 誠
発行:柏櫓舎 2005.9.25 初版
価格:\1,600

 カルロ・ルカレッリの三部作に続いて、柏櫓舎が送り出すイタリア捜査シリーズ第二段。もちろん聞いたこともないない作家による聞いたこともない小説なのだが、翻訳者の選択権が働いているのだろうか、この作品もまたイタリアの共和国時代に材を取っている。

 第二次大戦直後の混乱期1944年3月に実際に起こった列車事故を取り上げつつ、その3年後に勃発する鉄道員連続殺人事(もちろんこちらは創作)件の謎を追う。

 底辺の生活から名誉を取り戻すために行動を開始する元鉄道員の主人公が、何と言っても存在感を持つ。誤解によって旧体制の協力者と看做され鉄道員の職を追われたアデルモ・バウディーノが、己の誇りを賭けて、自らの過去を証明しようと、イタリア中を駆ける。

 列車による捜索の旅のなかで、南北に長く全く文化や自然が異なるイタリアの姿が浮き彫りになる。政治が二つに切り分けた後の傷口も生々しいイタリアも。戦争がもたらした暴力によって破壊されたいろいろな物も、心も。

 序章で、トンネル内で煙に巻かれる列車事故の様子が描かれる。小説の中でも現実の世界でも、なぜか取り上げられなかったこの事故の犠牲者は400~600人の犠牲者を出したと言う。トンネル内での列車事故と言えば、スイス登山鉄道の火災事故が記憶に鮮やかだが、これだけの事故があまり報道されないという不健全な時代にまさにイタリアがあったという事実こそが、作者が本来描きたかったことなのかもしれない。

 その不健全のつけを払わされるのが、例えば本書の主人公のような鉄道員であり、だからこそ彼のささやかな戦いが、じわじわとその意味を成してゆくのである。

 捜査が列車事故に辿り着くまでに相当の紙数を費やしているのも、主人公の姿を疎かにしたがらない作者の、きっと意図なのだろう。

「ファシストどもやコソ泥に、くれてやる場はどこにもない。この俺たちのイタリアにゃ」

 というパルチザンの歌が、何とも物悲しい終章に向けて虐げられた者たちの誇りの強さを訴える。読後にじわじわと味わいが深まってくる作品である。

(2005/11/6)
最終更新:2009年01月22日 23:54