朗読者




題名:朗読者
原題:Der Vorleser (1995)
作者:Bernhard Schlink
訳者:松永美穂
発行:新潮クレスト・ブックス 2000.4.25 初版 2000.7.5 9刷
価格:\1,800

うーん、これは純文学の側に属する作品なのだろうか。あるいは、まずもって読むことのあまりないドイツの小説ということだからだろうか。自分の手慣れたリズムによって読み進めることができずに、けっこう苦労してしまった。

 特に話のツカミが悪く、最初の段階で、ああ、エンターテインメント性がないぞ、と空気を求める金魚のように、本から浮上して浮き世に戻ってきてしまう自分を感じてしまった。ああ俺はもう純文学を漁っていた10代の頃のあの無垢な(ほんとか?)自分ではないのだなあ、としみじみ世の無常を感じてしまったのある。

 それでも後半に入ると物語も加速するために、ああ、こういうホロコーストに関わる種類の物語だったのか、そして浅田次郎『壬生義士伝』で珍しく描かれた本物の貧しさというものをテーマにした物語でもあるのだなあ、ということがわかってくる。この本にとってのタイトルの重要性も、ようやくここにきてきちんとわかってくる。

 ただ、あまりにも重い部分をあっさりと描写し流してしまうような筆致。心情描写にあまりに深くこだわった細密な部分。馴染めない感覚は最後までどうしても残ってしまうのだ。映画にのめっていたぼくの一時期、ハンガリー映画の『ハンガリアン』などをミニシネマで観た夜などはこんな印象を得ていた気がする。

 あらゆる答えを出すことなく、永い人生のあるポイントとなるような出来事、キーとなる人、のことを書いた小説というのはベストセラーになりやすいのだろうか。『マディソン郡の橋』もそういう、テンポとしては急ぎに急いだような小説であり、薄くってだれにでも読まれ、手に取りやすく、それでいて美し過ぎる話として、老若男女の賞賛を勝ち取り、ベストセラーになったのだった。

 『マディソン郡……』は駄目だったぼくにも、本書の方はまだまだぼくは深みを感じ取れることができただけ幸いだった。リズム、つかみ、とっつきの悪さというのは相当にあったので、こういう本がベストセラーになって日本の庶民に読まれているという実感はついに沸くことがなかったのだけれども。

(2000/11/04)
最終更新:2009年01月22日 23:28