密送航路




題名:密送航路
原題:A Five Year Plan (1997)
作者:Philip Kerr
訳者:後藤由季子
発行:新潮文庫 1999.4.1 初版
価格:\781


 毎作毎作読者の予想をいかに外すかというポイントに大変こだわっているかに見えるフィリップ・カーの、これも見事に予想を外してくれた作品。グンター三部作においても、ハードボイルドからスパイ小説までという広い振幅を見せてくれたカーなのだが、その後はさらに読者側の作家イメージを次々と塗り替え続けている。

 『殺人摩天楼』『エサウ』では、すっかりミステリの範疇から離れ、もはやファンタジックな冒険作家として、ハリウッドに認められ始めている。本作もトム・クルーズ主演の海洋冒険映画になることが既に約束されているそうで、やがては日本でも多くの人々の目に触れてゆくに違いない。しかし、トム・クルーズというのはできたら勘弁願いたいところだ。

 5年間の監獄生活を全うして出所したばかりの主人公デイブ・デラノーは、二枚目ではあるが決して優男のタイプではなく、知的ではあるがあくまでプロのアウトローであり、その世界から足を洗うことはとてもあり得そうにない。こうした設定だけでもトム・クルーズというのはぜひとも勘弁願いたいのである。

 マフィア、FBI麻薬特捜班の女刑事、マネー・ロンダリングの一味にコカイン密輸グループ、悪党たちを一つの船に乗せて、ヨット運搬船は大西洋に出港した。おまけにロシアン・マフィアや米仏の潜水艦までが絡んで錯綜する化かし合いの中、刑務所の中で5年間を練りに練った計画に従い、大金を強奪しようと主人公デイブは冷静に、しかし命を賭した計画を実行してゆく。

 比較的単純なプロットを多くの欲望と殺意と正義感とを相乗りさせた船の中で動かすというカーの筆運びは、相変わらず個性的で癖があり、ぼくのようなひねくれた読者にとってはなかなかたまらない(素晴らしいという意味においてである)。例えば多用される巧妙な会話体の中では、さまざまな映画のエピソードが引き出される。デイブは強烈な映画マニアであり、常に映画の魅力と自分の人生での経験(=冒険)が重ねられているかのように振る舞ってゆく。引き合いに出される映画のエピソードだけでも、ぼくなどは唸らされる場面が多々あったし、それ以外の部分でもかなり楽しむことはできた。

 重く緊張した話などではなく、むしろ登場人物たちの意気込み、頑固さ、計画、裏切り、熱い恋などを、大西洋の荒波に向けて発進させた古臭い冒険シネマのような……そう想像していただければとぼくは思う。恋に胸を焼かれる男と女については、本当に惚れ合うことのハードさをカーは語る……カーの最後の選択は、凡百の作家ではこうは書かないであろうという結末に導かれ、あくまで粋である。

 『殺人探求』以来のストレートな長篇である。いや、もっと我流に表現させてもらえば、これは、粋を売りとした海洋「任侠」小説と言ってよいのではないかとさえ思ってしまう。

 以下は、P349最終行からの下り。

 『人生とは危険を冒すこと。しかも、わかっている危険とは限らない(中略)過ちを犯すのは、常に不幸なことだ。しかし、過ちを犯す機会がないのは、悲劇だ』

 うーん、冒険小説のエッセンスであるよなあ。

(1999.04.26)
最終更新:2009年01月22日 23:12