エサウ 封印された神の子




題名:エサウ  ----封印された神の子
原題:Esau (1996)
作者:Philip Kerr
訳者:東江一紀+後藤由季子
発行:徳間書店 1998.10.31 初版
価格:\1,800


 どんなに変わったって一人の作家の振幅はたかが知れている。だけどこのフィリップ・カーに限ってはぼくはわからない。作風の変化もここまで来ると、得体の知れなさはどうにも理解の域を越えている。いったいフィリップ・カーはどこへゆくのか?

 『偽りの街』でデビューしたカーは、ナチス・ドイツ支配下のベルリンとは言え、おくらの認識はハードボイルド作家であった。その後、エスピオナージュ、冒険小説を経て、『屍肉』ではロシアを舞台にした『ゴーリキー・パーク』ばりの犯罪捜査小説をものにする。通常の作家の振幅ならここまでだ。

 さらに『殺人探求』『殺人摩天楼』で、カーは突然、飛んでゆく。哲学サスペンスに続くハイテク・ビル・パニック・スリラー。あれほど初期作品で男の誇りを描いた作者が、人間など将棋の駒扱いの集団パニック小説に手を染めた前作。

 そして今度はなんと、ヒマラヤ、アンナプルナ山群を舞台にしてのイエティ伝説に挑んでしまったのである。それも正統派・秘境冒険小説! うーむ。どう反応したらいいのかと戸惑い戸惑い読んだ始末。

 ハイテク部分は残しているし、イエティに端を発したヒトの起源に迫るオリジナルな人類学的考察もある。それでいて「秘境冒険」であるから、登山シーンも豊富だし、クレバス探険やもあり、国境紛争の暗雲が調査隊を不安に落とし入れもする。核の恐怖。サイコのCIAエージェント。でもそんなにぎゅう詰めにした印象はなく、むしろ淡々とした描写が続く。各章ごとのエピグラフが、知的な装飾を作っていたりもする。

 小説技術を駆使してのスペクタクル巨篇。何でも今ではハリウッドから引っ張りだこの作家になっちまたらしい。この作品もディズニー社が買い取って映画化必至であるらしい。さぞかし高予算のスペクタクル・アドベンチャー映画になることだろう。

 それだからこそ、たまらなく残念だ。当分は無理なのかもしれないが、いつか巨億のドルを投げうってでも、元の少しだけ奇妙な味のフィリップ・カーに戻ってはくれないものだろうか。

(1998.10.27)
最終更新:2009年01月22日 23:09