屍肉



題名:屍肉
原題:DEAD MEAT (1993)
作者:PHILIP KERR
訳者:東江一紀
発行:新潮文庫 1994.11.1 初版
価格:\600(本体\583)

 というわけで奇才、フィリップ・カーの、先に翻訳されてしまった五作目。今度のはシリーズではなく、BBCのTVドラマ脚本の原作として書かれたものだそうで、TV局の取材費を使ったのだろうか、現代ロシアを脚で稼いで、またも時代背景をがっしりと描写しまくりつつ、ミステリーを絡めた作品。

 主人公「私」は、存在感が薄く、どうやら脇役が主役であることに気づくのに、本当半ば以上かかりました。「私」不在の脇役たちの場面を後で聞いた話として三人称で語る手口なんていうのは、実に珍しくもあり、とっつきにくくもありで、物語世界が希釈されるようでこそばゆかった。何でも取材に当たって作者が警察車に同乗したり捜査に同行したということなので、その経験そのものが、結果的に小説のルポルタージュ的語り口になっちゃったのだと思うけれど。

 落合信彦などのロシア・レポートによってある程度得ていた知識を裏付ける街の描写、狭いアパート、食糧難に喘ぐ住民、野良犬のような子供……この辺りは、この作者のもはや独壇場であろう。ミステリー作家離れしたところがあるくらい、この人のリアリズムっていうのはハードボイルド以上のお硬さを持っていたりする。難を言えばこの種の描写と人間たちの歯車がそれほど噛み合って見えないこと。グンター・シリーズのようには、だ。

 ただしこのタイトル『屍肉』の意味が見えてくる終盤、この作品はいきなり盛り上がってくる。これまで訪れた地獄めぐりが、すべてこの終盤に集約されるのかと思うと、これまでの伏線、全然ただものではないのだ。そして刑事の怒り。やはり主人公は「私」ではなかった。ハードボイルドというよりも謀略小説に近いムード。ラストの捕物とサスペンスに関してはぼくは満足。

 こんなにえげつない犯罪という意味では、ナチスなみのワルであったなあ、結局。この作家、やはりいいよ。

(1994.11.21)
最終更新:2009年01月22日 23:03