悪童日記





題名:悪童日記
原題:LE GRAND CAHIER ,1986
作者:AGOTA KRISTOF
訳者:堀茂樹
発行:早川書房 1991.1.15 初版
定価:\1,600(本体\1,553)

 ハンガリー動乱の時期にスイスへ亡命した女流作家アゴタ・クリストフは、母国語で創作を始め、そのいくつかがフランス語訳されフランス語圏内で発表されていた。この本はそうした彼女が直接フランス語で書き下ろした長編第一作になるのだが、これは日本語に翻訳されるまでにほぼ世界中の国語に翻訳されて、静かな話題作になっているとのいわくつきの一冊である。この本は日本での出版当初関口苑生氏が絶賛していたのだが、いわゆるミステリーの埒外にあるせいか(実はそうとばかりも言えないのだが)、最近きゃれら氏が読んでネットの仲間たちにほとんど有無を言わせず薦めまくるまで、近辺では大して話題にもならなかった作品だった。

 さて本書は確かに怪作である。双子の子供が親と離れ疎開先の祖母の田舎家に到着するシーンから、この物語は唐突に始まり、衝撃的なラスト・シーンで唐突に断たれる。まさにすっぱりと断裁されるような終わり方をする。

 本書は「ぼくら」という一人称複数で語られるがこれは、「ぼくら」が文具店で買い揃えた(正確にはもらい受けた)大きな帳面に残された記録のすべてでもある。最初は原稿用紙に書かれたその文章は徹底的に検証された挙げ句、取捨選択されてこの大きな帳面に残される。その文体は以前、五条弾氏が他の会議室で書いたとおりある一定のルールに基いたものである。つまり感情描写は想像されたものであって必ずしも正確な描写ではないとみなされるため、これを極力排除するのである。この文体をふたりの天才と言ってもいいであろう幼な児が考え出し、そして大きな帳面に書き綴ったものがこの作品である、という体裁なのだ。故にこの作品の原題は「大きな帳面」。

 内容はぼくの感じた限りブラック・ユーモア。アメリカの<MASH>などに代表されるブラック・ユーモアではなくて、さらに黒の度合を深めたブラック・ユーモアである。背景は底無しに暗い時代。ナチスのホロコーストからソ連によって「指導される」時代のハンガリーが何の現実的な名前も与えられずに(登場人物たちにも然りである)、進行してゆき、双子の「ぼくら」はこれを見つめてゆく。表現はクールでハードだが、この世の残虐を見つめてものが食べられなくなり嘔吐を続ける彼らの心情は、描写されていないだけにこちらの想像力を否応なく掻き立ててくれるのである。そして感情を描写しないことによって感じられる彼らのタフさが全編を貫いている。暗い世界を妙に乾いたユーモラスな筆致で見つめるまなざしが存在している。

 一歩先が読めない不思議な小説世界。悪童というほどの悪童でもないが、妙に自立したふたりの主人公たち。異常な性欲と異常な暴力とに彩られた異常な世界環境。

 最初に『ハンガリアン』という映画を思い出した。珍しいハンガリー映画であり、ぼくはこれを何年も前に新宿東映シネマ2で観た。ハンガリーはナチスに占領され、二階の窓から収容所内の風景が見える。ハンガリーの男たちはドイツ側に立って戦って死んでゆく。凄まじく暗い世界状況をその映画はなんの解説も湿り気も与えずに淡々と語っていた。

 ようやく東欧の、沈黙に支配されてきた文化が、まずはおずおずとだが、少しずつ言葉を放ち始めたのかもしれない。

(1991.12.11)
最終更新:2009年01月19日 00:48