荒野






題名:荒野
作者:桜庭一樹
発行:文藝春秋 2008.05.30 初版
価格:\1,680

 ファミ通文庫より2005年と2006年に出ている『荒野の恋』第一部と第二部に、書き下ろしの第三部を付け足して、ソフトカバーとして改めて纏められた一冊。桜庭のニュー・ファンとしてはファミ通文庫の二冊を買ったり読んだりしていなくて幸いである。一気に読んだ方が、きっと座りのいい作品だから。

 一部は、少女・山野内荒野12歳、中学一年の入学式の朝に始まる。二部は、13-14歳、中二から中三。三部は15-16歳で高一から高二。一人の少女の12歳から16歳。子供から大人になりかけてゆく、多分人生で最大に多感で微妙な時間を、切り取って永遠に焼きつける作業、というのが桜庭一樹がこの小説で(いや、この小説でも)やりたかったことなのではないだろうか。

 北鎌倉にひっそりと佇む旧家の庭は、緑濃く、荒れ放題だが、鹿脅しの音がかぽーんと鳴るだけで、後は静寂に包まれている。書斎からは、恋愛小説化の父が着物姿で万年筆の音をかりかりとさせている。母を亡くした荒野はこの家で、家政婦に育てられる。

 冬には火鉢が出される。まるで文明からも科学からも遠ざけられた世界。シェルターのような場所。ときには荒野よりも、ずっとこの家の方が主人公なんではあるまいかと思われることがある。どこかで似たような話が……、そう、赤朽葉家もそうだった。女たちが家のどこかにいて、男たちは影が薄く、蜻蛉のように閉じこもったり、旅立ってしまったりするのだ。

 女子中学生の知らなかった実態を今になって知る不思議を感じつつ、ページをめくるのだが、薫り高い文芸性には目がくらみそうになる。いつもこの作家はこうなのだ。大の大人も子供も男も女も取り込んでしまうような、少女とその周りの世界小説みたいなものを、書いてしまう。ときにはのっぴきならない大人たちの秘密を、ねっとりした空気の流れのようなもので、あるいは嗅覚で、あるいは女の第六巻で、少女の感性が捉えてゆく様子を、作家は書いてしまうのだ。だから鋭く、切れる。

 切れ味の鋭い文章、である。作家が空手使いであることもあるのだろうか。一瞬の間合いを切り崩してくる芸のような領域。

 少女・荒野が接触恐怖症である一部は痛ましい。母親に触れられたり愛撫されたりすることのない幼少時代のことは語られていないが、少女の今の感性だけで、いろいろな欠損を表現してしまう。桜庭一樹の小説時制は常に現在形である。過去形ではないところが、魅力だ。その上現在形は容赦ない。追憶の挟まる余地も、予測される未来への地図も見当たらない。昨日と今日と明日、それくらいの単位が、ロコモーションのように連結されて、左から右へと流れ去ってゆくだけなのだ。

 三冊分の作品を一冊に詰めたものとは思えず、長い女の人生のうち、一番大切で、デリケートな時間を、やっぱり永遠にとどめおいたものとしか思えない、胸にきんきんと響いてくる桜庭少女ワールドなどであった。

(2009/01/18)