ワルツ






題名:ワルツ 上・中・下
作者:花村萬月
発行:角川書店 上 2008.09.30 中 2008.10.20 下 2008.11.10 初版
価格:上 \1,700 中 \1,800 下 \1,800

 戦後昭和史。いや、戦後昭和暗黒史なのだろうか。花村ノワール満開の、任侠エンターテインメント小説である。

 萬月ワールドのテーマである性と暴力を描くには、任侠、極道といった材料はぴったりである。花村萬月の描く人間は、徹底して社会からはぐれた者たちである。疎外され、社会から放り出されたものたち、孤独のやり場に困り果てた者たちである。

 義務教育すら十分に受けられなかった作家だからこそ描くことのできる反社会的人間たちの世界であり、ある意味、究極のリアリティである。

 在日朝鮮人作家である梁石日は、在日であるゆえに社会から疎外を受け、国を考え、故国を考えることで思想を育み、作家として活躍するようになった。国家・民族の違いゆえに在日だから疎外されるという理屈は、花村萬月の受けた個の疎外に較べればずっとわかりやすい。

 花村萬月は、個として疎外され、施設で育ったという経緯を持つ極めて特異な作家である。勝手な思い込みかもしれないが家族に対する血の渇望が、群を抜いて強いように見える。よしんば花村という作家がそうでなくとも、彼の書く主人公らはいずれもが、家族への飢えがあるゆえに、この世を彷徨っているように見える。

 かつて作家当人と話をしたときに、母の愛情への飢えを感じます、と評したら、へえ、そうですか? へえ、と答えにもならぬ答えを返された。肯定でも否定でもない曖昧さだったろう。しかし、やはりその後もずっとぼくは同じものが底流にあるように感じ続けている。

 『ワルツ』は、花村萬月文学の原点回帰みたいな作品だ。2,300枚という大作であるが、基調にある匂いが、『ブルース』や『真夜中の犬』みたいで、大変懐かしい。舞台や題材がきっとどこか似ているのだろう。

 舞台は戦後新宿の闇市に始まる。復員兵や、空襲で焼け出された女子供たちの彷徨う、焼け野原である東京。『ワルツ』は二人の男と一人の女が、そうした雑踏で出会い、やがて宿命の糸に絡め取られて、生き、惚れ、闘い抜いてゆく物語である。まるで全体が、戦後昭和史を描いた大きな絵のようだ。

 特攻兵の生き残りである城山は、ここに死に場所を探し、在日学生の林は虚無に生き、家族を空襲で失ったばかりの美貌の娘・百合子は、彼らとの出会いにより、情念の熾き火を燃焼させてゆく。燃え上がる炎のような出会いと葛藤、三者三様の人生と運命がワルツを踊る。

 戦後博徒たちの世界を描いたビルディングス・ロマンである。

 ハードボイルドではなく、ホームドラマを書いているつもりなんだけれど、とあの日の花村萬月は、ぼくに言った。

人から勝手にハードボイルド作家と言われて困っているんだ、と。

 デビュー間もない萬月先生であった。その意味はその後20年くらいが経過した今でも変わらない。一見、任侠小説と見える『ワルツ』。確かに、暴力と惨劇の血腥い全三巻。圧倒的な量と質である。でも、やはりどう見ても、これは花村流ホームドラマなのである。究極の家族形成の物語というべきか。

 暴力シーンは予測を凌駕するほど凄惨に、愛欲のシーンは微妙に抑え気味ながらこれ以上ないほど切なげに。あの花村節が、純文学ではなく、大衆娯楽小説として帰ってきた。無法で、アメリカ兵たちが鬼のように跳梁していて、まだまだ占領下で、戦争の暴力を身につけてきたヤクザがのしていて、とにかく無茶苦茶で、アウトローで、赤貧で、餓えていて、そのくせ誰もが皆逞しかった、ぼくや萬月先生が生まれる少し前の戦後東京を舞台に、しっかりと時代背景に沿って作り上げられたロマンがここにある。

 激しく、切なく、圧巻の、つまり花村文学のエッセンスが詰まりに詰まった大河小説が、ついにここに登場した、っていう感じである。

(2009/01/12)
最終更新:2009年01月12日 23:15