プードル・スプリングス物語
題名:プードル・スプリングス物語
原題:Poodle Springs (1989)
著者:ロバート・B・パーカー Robert B. Parker
訳者:菊池 光
発行:早川書房 1990.5.15 初版 1990.6.15 再版
価格:\1,600
発刊当時、物議を醸し出した作品である。ぼくはハードカバーで買ってありながら、あまりに多くの周囲のチャンドラー・ファンからの罵倒を耳にしたせいか、ついぞ書棚の奧にしまったまま読みそびれてしまっていた。スペンサーはチャンドリアンであっても、チャンドラーとの距離は当時の読者ならかなりのものを感じていたと思う。それを強引に、というか世に問うっていうのは、いかにもしんどそうな作業だ。
ハードカバー版は巻末の解説は原りょうである。彼自身チャンドラーの文体に魅せられ、日本でのデビューに最もチャンドラーを利用した作家と言ってもいいくらいの、筋金入りのチャンドリアン。その彼もいつかは自分でフィリップ・マーローをと言っているくらいだから、パーカーが意欲を注いだとしても不思議ではない。ただ当時社会の方が(海外は不明。日本という極めて限定された場所でのことだ)、パーカーが名乗り出たことに対し異を唱えたという気がする。
そこには、パーカーをチャンドラーの(もしくはハードボイルドの直径の系譜の)、正当な後継者と見なすわけにはいかないという読者側の頑固なパーカー観もあったのかもしれないが、それ以上にこの『プードル・スプリングス物語』そのものによって引き起こされた違和感、あるいは確信の方が遥かに強かったのではないかと、ぼくは思う。
実はこの原作であるチャンドラーの遺稿は序章にもならないような最初の4章だけで成るものである。通常のこの量なら書き継ぐ者にとってなんの問題にもならない量のはずだった。
しかしことはそうはうまく行かなかった。何しろこの序章というのがとんでもない難物なのである。
何しろマーローがリンダ・ローリングと結婚したというところからスタートするのだ。よりによってと言おうか。なぜ結婚しちゃったのか、マーローよ、とでも嘆きたくなるのはパーカーだけではあるまい。考えただけで同情したくなるくらいだ。チャンドラー自身が地中から蘇って書き継いだと仮定したって、やはり難物であることに代わりはなかったのではあるまいか。
それにしてはよくやったと言える書き継ぎではあるのだけれど、とにかくメイン・ストーリーの他に新婚夫婦の葛藤にまで描写を及ばせねばならない。いや、むしろそちらマーローものにしては珍しいほど重要なサイド・ストーリーになってしまっているわけで、作者がいかに努力しても、ぼくら読者にとってはマーローはスペンサーのようであり続けてしまう。こんな企画をした者の意地の悪さが目に見えるようだ。あるいは単に軽薄な企画者だったのか。
こんな特別極まりない遺稿でなければ、パーカーはもっとうまくマーローを作り得たのかもしれない。今にして思うけれど、パーカーはこの仕事は引き受けなければよかったのだ。でも読者は意地悪だから、こういう企画は結果的に見て大変に歓迎したような気がする。
最終更新:2006年12月10日 21:44