愛と名誉のために


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題名:愛と名誉のために
原題:Love And Glory (1983)
著者:ロバート・B・パーカー Robert B. Parker
訳者:菊池 光
発行:ハヤカワ文庫HM 1994.7.15 初刷 1996.11.15 2刷
価格:\505

 この本のほとんどの部分は、東京出張の行き帰りの飛行機の中で読んだ。だからほとんどのストーリーが、ある意味で地球の重力から解放されたような状態で進行した。スペンサー・シリーズが地球の重力を感じるようなある意味リアルなアメリカ生活を背負ったシリーズであるとするならば、このノン・シリーズ『愛と名誉のために』はそうしたリアルさから解放され、愛について、名誉について、翼を与えて大陸横断の旅に発たせたような一冊であった。

 ミステリーではなく、恋愛小説ではあるのだが、それにしても普通の恋愛というよりは、多くの者が十代の中頃に抱きそうな、幼く、純粋無垢であり、ひたむき、かつ身勝手な愛情である。恋をした主人公の青年は狂気を感じさせるまでにひたむきに全生活・全生命を一人の女性に賭ける。だれもが一度は通りそうな道であるけれど、彼の場合には、それが極度である。何事も極度でないと小説としての迫力に欠ける、という意味で、寓意性をもたらすために作者は主人公にこれほどにも極度なめりはりをもたらしたのかもしれないが、まあ、このめりはりがなければ小説としてはつまらないだろうことは想像に難くない。

 スペンサーの『キャッツキルの鷲』についてはこの極度を保ったまま突入していった爆発のように思える。作者も十分な自覚症状を持って実生活と作中世界のあいだを往還していたのかとも思える。

 それにしてもスペンサー・シリーズを見ていると、作者もスペンサーもともに一人の女性へ捧げる愛ということを至上にしている。本来、こういう価値観の作者がハードボイルドという文学ジャンルを研究しそこにはまったことが、スペンサー・シリーズの個性であり、ある場所では悲劇だとも言われる。だから本来パーカーの根幹は本書のような恋愛小説にこそあるのかもしれない。

 だが、『マディソン郡の橋』の一大ブレイクを見ておわかりのように、恋愛小説は一発ものが多く、そのジャンルだけでの長期の作家人生は約束されないように思われる。ハードボイルド作家としてのパーカーでなければ彼の名は今ここにないだろう。ハードボイルドというジャンルの中で今後も生きてゆくために作家が折り合いをつけてゆかねばならない神聖な女性への愛情意識、あるいはひたむきな思いそのものへの賛美(つまりスペンサーの生き方)が、この小説の中には確かにある。いつもスペンサー・シリーズの中で長所であると同時に短所であると言われるパーカーの最もパーカーらしい部分が。
最終更新:2006年12月10日 21:42